pしている者は罰せられた。一九四五年八月以後この禁止は解かれた。日本には一台でも多くの短波受信機が増えなければならない。そして日本人は世界における日本のあり方について現実的な認識をもたなければならない。
テレビジョンの研究は非常に遅れている。戦争中中絶されていたこの研究は四六年五月戦争目的以外の研究は許可されることになって再出発をした。日本放送協会技術研究所および浜松市の高等工業学校でテレビジョンの研究がつづけられている。
諸外国の日本向け日本語放送は、「ヴォイス・オブ・アメリカ」にせよ、ハバロフスク中継のモスクワ放送にせよ、短波受信機でなくても中波程度の受信機で割合容易に聴けるが、世界の動きに特に関心をもつ人々以外は一般に余り注意されていない現状である。戦争中軍部のために短波受信をしていた人々が、戦後は外国の放送を受信して通信を発行している例もある。
2 出版
戦争中日本の出版界は情報局によって徹底的な軍事統制を行われていた。編集の自由は失われ執筆者の選択は軍事目的に従えられた。情報局は日本出版文化協会および日本出版会によって統制を行い、書籍発行の許可制を実
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