ワんじた。各紙とも低調におちいった。一九四五年以後言論の自由と出版の自由とのために全国に日刊紙が続々と発刊されはじめた。そして一年後に、新しく生れた新聞社は百数十社を数える。
 各政党は何らかの形で自党の新聞発刊を計画した。日本共産党は機関紙として『アカハタ』を発刊した。日本社会党は『社会新聞』を発行している。自由党、民主党その他の政党は自由党が読売新聞を操縦しているようにそれぞれの新聞との間に経済的政治的関係を保っている。

 第二期[#「第二期」はゴシック体] 新聞が軍事的官報でなくなることを強力に宣伝することが戦後の新聞経営者の繁栄のために必要な仕事であった。第一期間、経営者が新聞の自主的な民主化や従業員の組合活動の自由を受け入れていたのはこの理由によった。第二期においては経営者のおそれた新聞経営事業の前途は比較的安全であるという見通しがついた。新聞関係の戦争責任追及も彼等が心配したほど徹底的には行われなかった。用紙不足は全国的現象であるが割当は紙の全消費量の八〇パーセントを与えられている。同時に吉田内閣の反民主的政策の現れとして全般的に勤労者の自主的民主化運動への反撃が開始され
前へ 次へ
全166ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング