{のスポーツは、戦争中全く日常生活から抹殺されていた。一九四七年になって、やっと日本の各種スポーツは、戦前のレベルまですすんだ。特に野球は、新しい情熱をもって全国的に普及した。小学生も熱心な野球ファンになった。学生野球は、文部省の監督をはなれて、学生野球協会によって運営されることになり、全日本学生選手権制度を確立した。
 職業野球は四七年度の公式リーグ戦において試合総数四七六試合という長期戦を展開した。東京後楽園は、日曜日と祭日に二万から三万の観衆を集めた。しかし収支バランス不調と実業球界の隆盛に選手の補充が十分でなく、一、二のチームを除いてはみるべきものがない。
 水上競技では、日本大学学生古橋広之進が四〇〇メートル自由型で四分三八秒四の世界新記録をつくった。
 陸上競技では山内リエが、走り幅とびで日本記録六メートル〇七を出して、オランダのブランカース・オーエンの女子世界記録六メートル二五に迫った。
 この二人は日本のオリムピック・ホープとして現れたが、一九四七年六月ストックホルムで開かれた国際オリムピック委員会総会の決議によって、日本はドイツとともに一九四八年のオリムピック・ロンド
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