黷トいる。四八年の始めに期待されているのは久保栄作「火山灰地」の公演である。「火山灰地」は新劇の上演目録中最も優れた脚本の一つである。この脚本は戦争の長い期間上演されなかった。
 日本の演劇に喜劇が発達していないことは注目されなければならない。歌舞伎に喜劇がない。新派にも新劇にも諷刺と笑いとが欠けている。日本の封建性を語るとき、日本文化の中に「笑い」はどのように存在しているかということは研究されなくてはならない。
 芸術祭 日本の政府は、本質的な意味ではファシズムと反民主精神とを温存していながら、外面的には日本を文化国家として内外に信じさせようとして努力している。日本の民主化を第一歩においてゆがめた権力が、熱心に美術展覧会を開こうとしたことや、年々「芸術祭」というものを行ってその実行を各芸能団体に要求していることもこのあらわれである。一九四七年度の芸術祭の内容は、極く少数を除いてお義理的な空虚なものであった。一般人は政府仕立の芸術祭プログラムよりも、自分の財布と自分たちが観ようとするものの実質を検査してからでなければ、切符を買わなくなってきている。森戸前文相は国立劇場の設立計画を持って
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