。日は猛烈に近代的個性の確立と自由とを主張する精神をもっている。このやきつくような欲望に対して、これらの若い評論家たちは必ずしも完備した思想的設備をもっているとはいえない。ここに戦争の傷があらわれている。彼らのある人は、きわめて客観的な日本の民主化の歴史的本質を、きわめて主観的な自身のエレジーをモティーフとして理解し、それを固執している。また、長い年月の間日本の民主的思想とその運動の実際からきりはなされ、一九三三年以前の民主的文学評論の正統的な文献さえもみることの出来なかった人々は、今日でも彼等が自覚するよりも遙かに多く官製の逆宣伝文書に影響されている。これらの人々は、自我の解放を熱望しつつ、半封建に圧せられていた自我を解放するためには必然である民主的権威を認めることにさえ、猜疑を抱いている。民主的、人民的権威がとりも直さず彼自身の人間的尊厳に通ずるものであるにかかわらず。最悪の場合においては、人権と文化を抑圧しつづけた治安維持法への抗議を忘れて、その抑圧のために生じた人民的組織――たとえば日本共産党やプロレタリア文化・文学団体――の活動に見られた不十分さだけを、必死に追究した人々もあ
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