I評論におちいった。現代の世界文学において、評論の基準とされている客観的評価はかげをひそめ、一九二〇年代以前の主観的随筆的評論が横行した。
 一九四六年は、このようにして殺されていた日本の文学評論のよみがえりの時期であった。日本の進歩的文学理論の発展に対して、価値ある貢献をしつづけた蔵原惟人をはじめ、長い沈黙の間に活動の日を待っていた岩上順一その他の若い評論家が、こぞって日本の民主的文学の本質と方向についての検討をはじめた。
 一九四七年には、蔵原惟人の「文化革命の基本的任務」その他これらの新しい民主的文学の評論家たちの活動がそれぞれの著作集としてまとめられた。これらの時期には小説その他の創作よりもむしろ評論活動の方が活溌であるように見受けられた。しかしその実質について研究すると、ここにも戦争の与えた深い傷がみられた。第一、今日の若い民主的評論家たちは、彼らの青春時代をきりきざんだ日本のファシズムの暴力に対して忘れられない恨みを抱いている。一人一人の運命が、軍部からの葉書一本で左右されたことに対して感じた憤りを忘れていない。日本の人民とその文化が、そのようにみじめであったことについて、
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