{の悲劇は上述のような説明では片づかない。平和を愛する情熱を若い世代がその感情の中に持つために『くにのあゆみ』は民主的人民生活の発酵力を全く欠いている。
学生生活の危機 戦争によって家庭の経済的安定を失った日本の中産階級は、驚くべき早さで貧困化しつつある。従来中産階級の家庭から出身している専門学校および大学の男女学生の生活は、深刻な経済的困難に面している。東大の調査によると、全学生の九六パーセントが働きながら学ぶことを必要としている。これらの学生の三二パーセントが、全生活費を自力でまかなわなければならない。学生の生計調査によれば、全費用の六〇パーセントが食費に支出されなければならず、二二パーセントの書籍代は今日の日本で四、五冊の本を買うだけの金である。学生らしい娯楽のために――スポーツ、映画、音楽、演劇などのためについやし得る金は、五パーセントにすぎない。すべての学生は、最低五〇〇円から一、〇〇〇円の収入を得ようと努力している。このために、学生たちに与えられる職業はどんな種類のものがあるだろうか。家庭教師、通訳、翻訳その他の知的労働の範囲から、生活の必要は学生たちを肉体労働へ追いたてている。東大の職業を求めている学生の三六パーセントは、肉体労働をもいとわぬとしている。女子学生は、知的労働のほかに進駐軍女子寄宿舎の徹夜夜警、洗濯婦等に働くほか、街の小工場の臨時女工として家内的な工業に働いたりしている。学生たちが苦痛とするところは、これらの労働が安定性をもたないことである。半年以上つづく可能性があり、それによって学生の精神的安定も保たれる労働をみつけているものは全体の五〇パーセントにすぎない。
男女学生は、自分たちの労働の必要を安価な労働力として利用しようとする政府の方針に抗議している。たとえば、一九四七年の十月末に、逓信省は東大に一五〇名以上何人でも働きたい学生を要求してきた。四時間労働で三〇円、中央郵便局における事務という名目であった。学生たちは午後四時から四時間労働で三〇円とるということに誘われて応募した。そしたらば、一日おいて全逓のワイルド・キャットが始った。学生たちは非常におどろいた。彼等は自分たちが労働者の生活権侵害者になったことを恥じた。そして政府の目的を発見したのであった。さらに学生たちは、四時間三〇円という賃銀が労働力のダンピングであったことも発見した。日傭労働は一日二五〇円であったから。
新制中学における学生の代用教員が、やはり同じように教員の生活の脅威となったことについて悲しんでいる。彼等は文相がどんなに学生の政治的意識を打破しようとしていても、このような彼らの日々の経験から深い社会教育を受けつつある。すべての学生は、学生生活の危機がとりもなおさず広汎な勤労人民の生活危機であることを自覚した。学生たちは学校の門とヤミ商売の門とをきわめて近い距離において発見した。したがって、これらの若い良心が資本主義社会のモラルについて、辛辣なそして真実な批判をもっていることは当然である。
経済的困難から退学した学生たちは、たいてい数人の家族をかかえて悪戦苦闘している。次のような手紙の一節は無限の訴えをもっている。「国家の大学が国家の名において文科系学生のみを戦線に配置した、そのあと始末を全く省りみないのは、矛盾ではなかろうかと思います。我々はあの当時どんなに無限の感慨をもってあの時計台をふりかえりふりかえり屠所にひかれて行ったでしょう」。今日の働かなければならない学生たちは、はっきりと「働きながら学べる大学」を求めている。そしてこの希望は、日本の民主化された経済再建の具体的なコースの中の一部分であり、労働者の生活安定のための諸闘争こそ学生のチープ・レーバーを救い、働きつつ学ぶ社会をもたらすものと理解しはじめている。学生たちは、日本の勤労人民の一部として、自分たちの運命を開拓するために必要なみちを発見しつつある。
幼稚園教育 戦争中日本の幼稚園教育は殆ど潰滅した。現在大都市を中心として極めて僅かの幼稚園が復活しているだけである。一般主婦は子供を幼稚園にやって時間の余裕をつくり何かの内職をして千八百円ベースの困難な生計を補いたいと希望している。しかし幼稚園がかりに近所にあったとしても多くの親たちはそれを利用する余裕がない。昨年(一九四七年)四月一ヵ月三〇〇円費用がかかった。さらに母達の困難は子供の衣服の問題である。
盲聾教育義務制 日本に推定一一万二〇〇〇名の盲聾児がある。百数十万人の近親者がある。一九二二年勅令で盲聾学校令が公布されて各府県毎に一校以上の盲聾学校を設置する義務を明らかにした。二六年を経過した今日、東京、北海道はその義務を果していない。少数の民間人の努力によって現在全国に一四九校、教職員一、二〇〇名を
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