オた。日傭労働は一日二五〇円であったから。
 新制中学における学生の代用教員が、やはり同じように教員の生活の脅威となったことについて悲しんでいる。彼等は文相がどんなに学生の政治的意識を打破しようとしていても、このような彼らの日々の経験から深い社会教育を受けつつある。すべての学生は、学生生活の危機がとりもなおさず広汎な勤労人民の生活危機であることを自覚した。学生たちは学校の門とヤミ商売の門とをきわめて近い距離において発見した。したがって、これらの若い良心が資本主義社会のモラルについて、辛辣なそして真実な批判をもっていることは当然である。
 経済的困難から退学した学生たちは、たいてい数人の家族をかかえて悪戦苦闘している。次のような手紙の一節は無限の訴えをもっている。「国家の大学が国家の名において文科系学生のみを戦線に配置した、そのあと始末を全く省りみないのは、矛盾ではなかろうかと思います。我々はあの当時どんなに無限の感慨をもってあの時計台をふりかえりふりかえり屠所にひかれて行ったでしょう」。今日の働かなければならない学生たちは、はっきりと「働きながら学べる大学」を求めている。そしてこの希望は、日本の民主化された経済再建の具体的なコースの中の一部分であり、労働者の生活安定のための諸闘争こそ学生のチープ・レーバーを救い、働きつつ学ぶ社会をもたらすものと理解しはじめている。学生たちは、日本の勤労人民の一部として、自分たちの運命を開拓するために必要なみちを発見しつつある。
 幼稚園教育 戦争中日本の幼稚園教育は殆ど潰滅した。現在大都市を中心として極めて僅かの幼稚園が復活しているだけである。一般主婦は子供を幼稚園にやって時間の余裕をつくり何かの内職をして千八百円ベースの困難な生計を補いたいと希望している。しかし幼稚園がかりに近所にあったとしても多くの親たちはそれを利用する余裕がない。昨年(一九四七年)四月一ヵ月三〇〇円費用がかかった。さらに母達の困難は子供の衣服の問題である。
 盲聾教育義務制 日本に推定一一万二〇〇〇名の盲聾児がある。百数十万人の近親者がある。一九二二年勅令で盲聾学校令が公布されて各府県毎に一校以上の盲聾学校を設置する義務を明らかにした。二六年を経過した今日、東京、北海道はその義務を果していない。少数の民間人の努力によって現在全国に一四九校、教職員一、二〇〇名を
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