。
このようにしてきわめて短期間に、日本の民主化の純粋性は失われはじめた。本質的に保守と反動の政策が民主化の道へ大幅に流れ出したのはどういう原因からであったろうか。このことはもちろん国内の根強い封建的伝統を決定的な理由としている。同時に金の匙から食べていた者は何時になっても彼等の金の匙を捨てようとは欲しない。これは世界共通の現象である。その上、七十年以上封建的な絶対主義と軍国主義に馴致され、最近数年は半狂乱の戦争熱であおられていた日本の人民にポツダム宣言を受け入れさせ、軍隊を解散し、敗戦を認めさせるためにはその半封建制そのものに利用価値があると考えられたのであろう。天皇がラジオを通じて敗戦を認めポツダム宣言受諾を宣言したことは、その一つのあらわれであった。一九四五年八月以後の混乱期に東久邇宮を内閣の首班としたのもこの方法の一つであったろう。日本の民主化と国際平和のために、日本における天皇制の利用がなお真実な価値をもっているであろうか。このことは、今日において、世界の良心的なすべての民主主義者にとって正しく判断されるべき課題である。民主的な占領政策の実現と日本の民主化を実現するために天皇制が最後の奉仕を行い得る限界はすでにすぎている。日本国内の旧支配権力は天皇に対する連合国側のこの利用的譲歩の技術に乗じて全くそれを悪用している。彼等は一九四五年八月以来、公職から追放された政治的・軍事的有力者の利害を結集して裏面に反動的支配勢力を組織した。
人民の眼からかくされている上層部の裏面的な政治勢力は、内閣および議会をかいらい[#「かいらい」に傍点]として表面上は財閥解体令を受け入れながら緊急金融措置令によって新円切換えを行い、さらに半年のうちに第二回の金融措置(一般に預金封鎖とよばれた)を行って特権的階級に手厚い保護を与えた。財産税の処理方法は多額納入者により便宜な支払方法を決められた。その上、財産税の用途には軍需生産業者の損失[#「損失」に傍点]に対する国家の補償が含められた。
一九四六年三月以降第一回金融措置令以後インフレーションは急に上昇した。物価は目立って高くなった。税率が引き上げられた。これらすべての事情は、戦争によって経済的支柱を失った多くの家庭をはじめとして全人口がそれぞれの角度から戦災者である勤労階級の生活をますます急迫させた。一九四六年から四七年の二月
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