フ育の廃止(正課としての柔道、剣道等を含む)。職業軍人、軍国主義者、占領政策反対者の罷免、自由主義教育者の復帰、教育課程の改訂。さらにつづいて一般復員軍人の教職への新規採用に関する日本教育非適格者追放指令が発せられた。一九四五年十二月には国家権力と神道との分離に関する指令が出された。続いて封建的な絶対主義と軍国主義的な服従を強いてきた修身の授業停止、侵略的な地理と天皇一族の絶対性・日本民族の架空な優位性を教える日本歴史の授業が停止された。
 第二の教育の民主化のために一九四七年のはじめスタッダード博士を団長とするアメリカ教育使節団が来朝して、短期間であったが、有益な見学調査を行ってその報告書が世界に発表された。この教育使節団の報告にもとづいて軍国主義的日本の教育が特に長い戦争中殆ど教育らしい教育を行ってきていなかった実情が暴露された。六年間の国民義務教育を終った日本の人民がその実力は僅か四年間学校へ通った者と等しく、高等学校の学生の実力は中学の三、四年生に匹敵し、したがって大学卒業生の実力もきわめて低下していることが証明された。戦争中、国民学校上級生から中学、専門高校の男女学生が戦争遂行のために様々の形で動員され一週間に学習する日は一日二日あるかなしの有様であったことを思えば全体の学力低下はさけられない結果であった。
 教育使節団の調査にもとづいて日本の教育制度の中央集権的悪弊――文部省の絶対的支配――を除くために教育権の地方移譲、九年制の無料義務教育の施行、ローマ字の採用、教科書の民主化等の目標が示された。
 軍国主義的教育方針の変更を立証するために文部省はその時までに不適格教員六五〇名を追放した。そしてまず新しい日本歴史教科書の編纂に着手し、教育課程の更新の研究をはじめた。
 戦争中軍事目的のための科学技術者速成のためにさまざまの形で特別科学教育を行っていた。婦人のためにも行われていた。中等学校にも行われていた。この軍国主義的教育は四六年十一月廃止された。
 日本の封建的伝統である官学崇拝の悪風を排除するために私学の独自的教育振興を目標とする日本私学団体総連合会が結成された(四六年十二月)。組織は私立大学連合会三九校、私立専門学校協会一七九校、私立中等学校連合会および私立青年学校連合会一、一五一校、私立初等学校・私立幼稚園総連合二七校によって構成されている。私学
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