タ倍能成が就任した。新しい館長は四七年七月に「近代日本洋画展覧会」をひらいてやや活溌な仕事に着手した。この展覧会は日本の洋画の基礎となった明治初期の油絵画家の作品から近代日本洋画の古典となった作家たちの作品をあつめたものであった。
 この他しばしば催されるようになったヨーロッパ名画の複製展、中国の版画展、中国の元・宋時代の名作展などは専門家ばかりでなく、美術を愛する一般の人々に喜びをもって迎えられている。
 日本画の中心的組織は「日本美術院」である。日本画壇は画商と連帯をもった強固なスター・システムでかためられている。日本画家の生活の全面が封建的であり、きびしい閥がある。日本画家は多くの場合すでに注文主のある絵を仕上げて展覧会に出す。有名な画家の作品はたちまち金持の所有として一般の眼からかくされてしまう。有名な日本画家の作品はヤミ屋の親方によっても財産の一種として買い込まれている。日本画の領域にははっきりした民主化運動が起らないほど封建的習慣がしみついている。
 日本画の技法にはさまざまの芸術上の問題が含まれているけれども、それはあまり画家たちの良心を苦しめる問題ではなくなりかけている。何故ならば日本の洋画は輸出品にはならないが、日本画は比較的拙劣な作品でも「日本風」ということでいろいろの海外向け販路がひらけ始めてきたから。
 日本画の一つのジャンルである「浮世絵」は昨今新たに注目されはじめた。日本の「浮世絵」は悲劇的な歴史をもっている。明治維新当時、美術を理解しない政府の方針で日本の浮世絵は紙屑のように扱われた。優れた「浮世絵」の多くがボストン・ミュージィアムに集められた理由もここにあった。日本画の価値を正当に判断して日本人に理解させたのはフェノロサであった。今日浮世絵は再び歴史的な立場に立たされている。「観光日本」を考えている人はそのつけたりとしてのように日本浮世絵を扱う傾向があらわれている。あちらこちらで浮世絵展覧会が開かれている動機はすべて美術的見地にたっているとばかりはいえない。
 日本政府が高率に課した財産税の目録の中には美術品も包括されている。優れた美術品を所蔵している人々の経済は戦争によって著しく変化した。このために旧家の所蔵していた美術品は財産税をモメントとして軍需成金の変型した新興成金の所蔵に移りつつある。

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