という気持も、むき出しに出ている。本も買える。しかし、どんな本を買っていいのか自分には判らないということについて、心の中で立ち止っている姿はない。判らないことの上に居直っているようなところがある。
 判ることと判っていないこととの間に、どれ程の意味があるか、そんな感覚さえ失われているようなのは、今日の読者のどういう特質なのだろうか。

          二

 女学生などの間では、昨今、ごひいきの作家の名はさんをつけてよんで、格別そうでないのは呼びすてにするという風も生じている話をきいた。
 作家を公人として見て、姓名だけをよんで来た読者の習慣とそれとは感情において決して一つのものでないことは明らかである。
 デパートの書籍売場などで、反物を相談するように、これがよく出ます、と云われる本を買ってゆく奥さん風のひとも多いそうだ。それらの女学生にしろ奥さんにしろ、いずれも本は読んでいるのである。もとよりずっとどっさり買って、そして読んではいるのである。今日の読者にはこういう層も極めて多くなっている。
 興味のあることは、こういう種類の読者の層と文学がすきでずっといろいろの文学書も読んで来
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