学性というものの目やすはそれを小説の形にかき得るという一つの技術上の専門的分化の範囲にあるように考えている今日の読者の気持に、作家としての苦悩がないかの如くである。
かえすがえすも、今日の読者の在りようというものは、作家がめいめいの心の中で現実の一部として読者と自己との生活のいきさつをどう見ているかということと切りはなして云える事柄ではないと思う。読者の要求に追随するという表現にしろ、作家としてはわが身にかかわることなのであるから、つまりは、自分の内の何かに追随しているということと全く等しい。
百円札を出して、これだけ本を下さいと云ったという若い職工さんの俤《おもかげ》も、人生的な又文化の情景として見れば、そこに何といたましい若き可能性の浪費と頽廃が閃めいていることだろう。作家が現実に居直ることと常識に居坐ることとの差は必ず読者の在りようを作家にとって内在的に変えるばかりでなく、照りかえしてゆくものと思う。[#地付き]〔一九四〇年五月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5
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