つかまえて引こんだ小林の家の前通りの空家の薄暗い裡で大きい声で云った。
「小林は共産党員じゃないか、人を馬鹿にするな!」
「そうかもしれないが、それより前に、小林多喜二は、立派な文学者ですよ」
「理屈なんかきいちゃいられない。サア、行くんだ」
 そして、杉並署へついて、留置場へ入れられかけた。留置場の女のところは一杯で、もう入れられないと、看守がことわった。「何だって、今夜はァあとからあとからつっちェくるんだ」と看守が不満そうに抗議した。留置場は一杯になっていた。小林多喜二のところへ来た人たちで、少くとも女の室は満員となっていた。私は、それで「帰れ、仕様がない」と帰されたのであった。
 一九三三年は前年に治安維持法が改悪されて、そのために進歩的な文化全面に、激しい動揺が生じていた。内心の恐怖を、文化・文学理論への批判という形にすりかえて、卑劣な内部崩壊が企てられていた。小林多喜二は、前年春から、不自由な生活を余儀なくされて暮しながら、文学者として可能な限り当時のこの腐敗的潮流と闘った。その間に「党生活者」その他の、日本民主文学の歴史的所産たる作品を生み出したのであった。
 当時、一部の
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