、クラクソンを鳴らしてよいという別仕立の自動車をとばしているのでもなければ、炭や米や木綿の心配はないという暮しをしているのでもない。そうだとすれば、日本と一口に云っても生活の具体的現実の種々様々の姿は云いつくされないものであることを会得せざるを得ない。
 フランスと云ったって、やはりこの一口には云いつくせない社会の実際があるのは事実であろう。一握りの支配する位置にある人々が、或はそれらの人々を代表としている一群の男女が、頽廃した文化をつくり出していたのが事実だとして、フランスのあの勤勉で堅実な農民たちの朝夕が、果してその名士達と同様に頽廃していたなどと云い得るだろうか。朝六時に、カラーをつけない背広の襟にマフラをまきつけて合外套などというものは身にもつけずに働きに出る勤労の人々が、夕方には顔の見えなくなる迄電燈を倹約して窓べりで待っている妻子のところへ戻ってゆく朝から夜が、やはり頽廃していたとどうして云うことが出来よう。みんなが腐っていたからという説明は、この一つの事実からも、フランスの敗北を十分に説明する力は持っていないのである。
 アンドレ・モーロアの「フランス敗れたり」という本は
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