、少くとも文化という文字を生活の中にもっているあらゆる人々に読まれたと思う。モーロアは、フランスの敗因をいくつかあげて、その一つの重要なものとして、ダラディエとレイノーの私的な憎悪や醜聞を面白可笑しく喋っている。空々しく、イギリスの政治家は潔白な生活をしているなどと云っているけれども、そして、フランスの防衛の準備がおくれたのは総てそれら私闘が原因であるかのように云っているが、では、ダラディエやレイノーは、何故そんなに互に対立したり、阻害し合ったりしなければならなかったのだろうか。ダラディエの属していた急進社会党とレイノーの属していた中央共和派とは、フランスの社会生活全般に対してどんな見解の相異をもっていたかということや、ダラディエ一人の中にどんな自家撞着があり、更にどんな利害の対立をもっていたかということについて、モーロアは一言も触れていない。ダラディエとレイノーの対立は、その根底にどんな深刻な現代フランス社会の矛盾をもっていたか、つまりはその矛盾がフランスの支配者たちを自繩自縛におとし入れ一般の人民はその結果に耐えなければならない運命におかれたのだということに、モーロアの史眼は及んでいない。歴史の現実のそういう本質の契機にふれようと努力しないで、モーロアはさも自分が国家の機密に通暁している人物のように、アメリカというよその客間から客間とまわって、時代的ゴシップを喋っているに過ぎない。そのことで、彼自らが要するに、醜聞とともに書いている連中と何も本質の違った存在ではないことを示しているのである。
 モーロアの本が日本でもあんなに読まれたということに、今日の日本の文化の感覚が世界的な関心を持たざるを得なくなって来ていることが語られていると思う。同時に、モーロアの饒舌の無価値をはっきりと見抜き、歴史の変化する真の動機は一人や二人の政治家の女あらそいなどにかかわらず、もっと別なところ、即ちフランスの場合ではドイツに対する伝統的な対立にかかわらず、又ゲーリングの「大砲はバタよりもずっと重要だ」という一九三六年の声明に絶えずうなされながら猶且つ一般の国民の祖国を愛する真情に対しては第五列の意味をもっているケリリスの活動やドーデの活躍に余地を与えなければならなかった原因は、フランス経済・政治のどんな紛乱からであったかという事実までを、現実にそれがあるとおりに理解するだけ、私たち
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