りでなく、フランスの国民の大部分もそう思っていたらしい。ところが、巴里の凱旋通をナチの軍隊が足並高く行進することとなって、世界は現世紀の一つの驚きの感情を経験した。どうして、フランスは敗れたのだろうか。この問いが、日本でもあらゆる人々の心に湧いたにちがいない。忽ち新聞に、フランスは文化の爛熟と頽廃とが原因で敗れた、と説明する文章があらわれた。ローマが崩壊したのは有名な「何処へ行く」で私たちにも馴染なネロのような王が現れるほど暴虐と頽廃が支配したからだと西洋歴史で習ったから、今フランスは文化の頽廃で敗北したときくと、一応尤ものように思えるかもしれない。日本歴史では平家の壇の浦の最後を、清盛からはじまる平家のおごりと文弱に原因をおいて話すのが普通でもある。
 けれども、すこし落付いて自分たちの周囲の生活の現実を考えて見ると、それらの説明は必ずしもすべて納得されるものでもないのがわかって来る。何故なら、私たちの日々の暮しの経験では、成程この頃成金になった人々もある。時を得顔の、いろいろの特権をもって暮らしている人々もある。けれども、私たちの大部分はどうして暮しているかと云えば、決して市内でも、クラクソンを鳴らしてよいという別仕立の自動車をとばしているのでもなければ、炭や米や木綿の心配はないという暮しをしているのでもない。そうだとすれば、日本と一口に云っても生活の具体的現実の種々様々の姿は云いつくされないものであることを会得せざるを得ない。
 フランスと云ったって、やはりこの一口には云いつくせない社会の実際があるのは事実であろう。一握りの支配する位置にある人々が、或はそれらの人々を代表としている一群の男女が、頽廃した文化をつくり出していたのが事実だとして、フランスのあの勤勉で堅実な農民たちの朝夕が、果してその名士達と同様に頽廃していたなどと云い得るだろうか。朝六時に、カラーをつけない背広の襟にマフラをまきつけて合外套などというものは身にもつけずに働きに出る勤労の人々が、夕方には顔の見えなくなる迄電燈を倹約して窓べりで待っている妻子のところへ戻ってゆく朝から夜が、やはり頽廃していたとどうして云うことが出来よう。みんなが腐っていたからという説明は、この一つの事実からも、フランスの敗北を十分に説明する力は持っていないのである。
 アンドレ・モーロアの「フランス敗れたり」という本は
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