るだけ心配しなくてはなりません。この水の表面のような反射的な注意を持っていることは、心の中の深い落付きを乱だすものです。それを平静に保とうとするには、やはり男の知らぬ努力がいるのです。男はこういうことに対して、それだけのことを意識として経験しなくともよいでしょうが、女性はそういうことが或る程度まで反省的に取扱われなければなりません。その上で初めて落付いて仕事に向う気持にもなるのです。
また時代というものに対しても、それから時代精神ということに就いても、本当にその時代に生存するには、前後及び終極の場所を見極めなくてはなりません。
時代というものは一つの大きな道です。私共は現在歩いているその道をよく見詰なければならず、それと同時に自分の行くその前途をもよく見極めなくてはなりません。即ち本当の意味で時代に触れ、それを産むには、自分の中からその時代が発展して来なくては駄目で、本当にそうした心掛けで生活する人には、必ず其中に時代は産れて来るものです。それは丁度人間が原始時代から或る発達の経過を踏むと同じことです。万有は勿論、人間も文芸も、それと同じ一つの大きな道を通って来たものです。その各時代がそれを正しく発表していると同様に、自分がその大道の一期間に正しい生活をすれば、その中に新しい時代はあるわけです。その経過に於いては内的の発表を意識しないで、其時代を形造って来た人もあるでしょう。私共の祖母、母などは、私共が反省しつつ自分の時代を造り上げているのと違って、只単に一種のシンボルとして一時代の変遷の跡を表わして来てはいたでしょうが、それが正しく私までへの道を形作っていることは事実です。
例えば、女性の政治的権利の要求、社会生活の上の機会均等などの要求も、一人の人の発育の過程によって、其態度が違って来る。一人の或る女――それは娘時代には昔風の母親に生活させられた、然し時代が真の女性の本分を要求したのに刺戟されて、初めて自分の過去の生活を反省し、社会主義から婦人運動の中にまで入り、やや反抗的な態度の生活に入る。そしてその女はそれを人間としての最上の生活であると信じ、そのために働き且つ勉強する。私は然し、それが終極のものであるかということに就いては疑いを懐きます。抑々《そもそも》其女のこうした欲求は、本当の人間として生きて行きたいというそれから出たものであろうが、本当の人間の
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