にあって立ちのき先を四分板へ大書しておく、あの感じで、それは一種騒然たる街上の印象であった。出るにつけ入るにつけ、その四分板の大文字を見て暮す家人の胸中はどうであろう。悲しみを常に新たにされるというばかりでなく、ああいう標は、いろんないかさま師に何か思いつかせるきっかけになるのではないかと、その家に残っている女の人々の日常の感じが思いやられる。
好学心
三月が近づいて来る。試験のいろいろな記事が新聞に出はじめた。それらの記事を人は様々の心で読むだろうが、今年それらの記事に目をさらす幾千かの若い瞳の裡なる人生への思いを考えると、何か苦しくなる。実業学校の卒業生は上級学校へ入れないことになったという事実には、それらの少年たちへのむごさがあると思う。
今日の世界の歴史が切迫し激動しているということから割り出されて来る社会的な必要と云われるもので目前説明されても、やはり世人のうけた感銘からは消されない人生的なものがある。
今度は商業学校の教育方針が変えられて、従来の個人的な儲け専一の心での商業感を新しく鋳直そうとする意図が示されている。商売というものの性質も昨今は急速に変って来ているのだし、従って明治時代に描かれたような個人の立身出世の夢や、この一二年前のような戦時成金への夢想も既に現実のよりどころは喪っている。自分一人の儲け、自分一人の立身出世、それを狙うことの愚かさは云うをまたないことであるのだけれど、ひる間は勤めて夜は実業学校へ通っている少年たちの心の目あては、十人が十人果して功利的な儲けや出世にとどまっていただろうか。
夜九時すぎから十時の間に、市電や省線にのりこんで来る詰襟の少年たちの心の底に求められているものは、何と云っても自分たちが偶然生れあわせた境遇に抗して、人生の可能を自分たちの現実によりひろげよりゆたかに獲得して行きたい熱望であろうと思う。もっと勉強したいという心は、世俗にすりへった成人の情感が忘れているばかりか、傍からもせき立てられて大学を終り役人になった人々の思いやることも出来ないような瑞々しさと鋭さと熱情とをもって少年の魂の命を息づいている。
少年たちが、自身のうちの何の力で環境的な不如意な生存に耐えて行くだろう。もっと勉強したい。単純なその表現のなかに、その少年たちの生涯的な生活感の核がひそめられているのだと思う。
どんな境遇におかれても、やる者はやるということはよく云われる言葉だと思う。特殊な例外の何人かにそれは当てはまる場合があろう。英雄伝はいつもそのように書かれるのが常套である。けれども、国民の日々の生気の溌溂さというものは、案外のところによりどころを持っていると思う。あながち食物の潤択さばかりにもない。物資の豊富さばかりにもない。
相当の空き腹で、相当に雨水のしみこんで来る靴で、少年たちが猶喜々としているとすれば、つまりは自分たちの胸底にあつく蠢いている自分たちの成長の可能への情熱の力によるのではないだろうか。そして、その可能性は具体的なものでなくてはならないのではないだろうか。
同じ学生でも、夜の学校に行っているものは、昼間勤めて月給をとっているという理由で、市民税を納めることになった。親の仕送りをうけている学生は市民税は払わない。昼間つとめている少年だの若者たちの得ることの出来る月給とは、一体いかほどのものであろう。
親の仕送りをうける学生は眼前に親の生活の経済的な助けとはなっていない。昼間勤めている夜の学校の学生は、月給の全部を自分だけで使ってしまっているという方が寧ろ珍しいであろう。月謝のためだけに昼間勤めてはいないのであろうと思う。市民税を納めることに、勤労市民の一人としての誇りを感じようとする心は、上級学校への道の封鎖や戸主であるなしの問題、その他の現実を思いめぐらしたとき、前途に洋々たる展望を描き出すことの困難さに当惑するであろうと思われる。青年に期待するというのは、どういう実際を指すのであろう。
昭和十一年三月という、今日では殆ど用に足りない古い統計でさえ、甲種実業学校の入学志願者は十九万人近く、入学者は十万五千三百九十八人という数を示している。
昭和七年に比べると、志望者は七万余人、入学者は二万人近く増して来ていたのであった。
女戸主
選挙法の改正のことは、急に実現されないことになった模様である。
戸主という者が資格として語られはじめたとき、私たちの女の心に閃いたのは、女の戸主はどうなるのだろう、という事実であった。あちこちの新聞雑誌でそのことにふれられていたけれど、その声がどのような形で上達したのかはわからない。
日本じゅうに婦人で戸主であるひとの数はどの位だろう。
二十五歳という年を中心にして有職者を見くらべ
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