一つにしろ、もう少し自分を主人と出来る方法が見つけたいということも自然と思えるのであった。
それに、とき子とすれば、言葉にあらわさない心持もあるだろう。
いつだったか偶然峯子がその銀行に勤めている兄の友だちに会ったとき、とき子の名にふれて、
「その方、学校が御一緒だったのよ」
と云った。
「ああ、いますよ。ここんところが」
と、その青年は手入れのいい瞼へ手をやるようにして、
「ちょっと妙んなってるひとでしょう?」
自分の感情の世界にはかかわりないが、その特徴だけは目に止めているといういいかたをした。峯子はとき子の名にふれたりしたのを悔やんだ。青年の口調でとき子がその銀行で追々古参株になろうとしているということが、あながち愉快ばかりを与えているのでもない事情も察しられた。
少しずつ、少しずつ話が具体的になって行って、峯子は今は地方に転勤している兄の手を通して正二が勤めていた製粉会社関係の仕事を、とき子は友達が経営している機械工場だの諸官庁だのの仕事を合わせ、邦文、英文、独文タイプライター事務所の計画が進められた。後からとき子の友人の春代も相談に加わることになり、三人は夜々を細心な計算や事務所の名をきめることやに費した。速記とタイプの仕事は、社会全般の大きい変化につれてどっさりになっているのであった。
さっきから歌うように鳴り出していた雨樋は、いよいよ旺《さかん》な雪解水が注ぎこみ、時々ゴボゴボゴボとむせび泡立つ音を立てている。
キラリと峯子の顔の真上へガラスを反射させて、向いの活版屋の二階が乱暴にあいた。同時にそれが峯子たちの部屋の空気を煽ったとでもいうようにドアが勢いよくひらかれた。
「こんにちは」
場所がらにない華やいだ声で峯子たちは、びっくりした顔を入口へ振り向けた。
「びっくりなさった? 御免なさい」
一目でわかるカネボーの大きい紙包を下げてそこに笑っているのは小関紀子であった。
「まあ……。思いがけないのねえ」
峯子は、全く意外そうにのろのろと椅子から立ち上った。紀子は黒い純毛の厚地外套の前をいくらか引上げるような身ごなしで立ったまま、室の様子を机から壁へと眺めまわしながら、
「素晴らしいわねえ! 一度是非御活躍の様子を見せて頂きたいと思って」
いつもながらの紀子らしさに思わず半ば苦笑いで、
「とても素晴らしいわ……」
と云った。
「でも
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