う云ったが、やがて、
「でも、恥しいわねえ、まるきりちがう自分の顔が現われるなんて、どんな恥しいでしょう」
 敏感な言葉の陰翳は、峯子をはっとさせた。とき子の声の裡には、そういう化粧法なんかでぬりかくすのに耐えない自分としての心持が響いていた。
 正二が現れてから、女としてとき子の心を思いやる峯子の気持は真摯なものを加えた。人としてのとき子の立派さが、女として全く偶然の不運によって磨かれつつあるのを見ている峯子は、自分の平凡な幸福について謙遜になり、その幸福は自分の責任にかかっていると思うのであった。
 秋、二人は郊外へ歩きに出かけたことがあった。黒くうすらつめたい土から真赤に燃える焔をあげ連ねているような唐辛子畑が美しく、鵝鳥が鳴き立てながらかえってゆく遠い草道があったりした。
 一本の高い赤松が土堤の上でその幹を西日に照らされているところで、休んだとき、
 ふと、とき子が、
「私の方、四十で停年なのよ」
といった。
「あなたのところはどうなのかしらん」
「きまっているのかしら……」
 峯子がちょっと考えただけでも、三十を越したという年配のひとさえ、あの夥しい女の数のなかに思い浮ばなかった。
「私、どうせ一生働かなければならないのに、四十で停年なんて、実際困ると思うわ。これからって年でしょう? もうそれから先は働かないでいいなんてこと、私に絶対ありっこないんですもの」
 峯子にはまた少し別な心がかりがさし迫っていた。時局の推移につれて、海外貿易の仕事に変化が生じ、会社では事業を縮小したりそろそろ人減らしもはじまっていた。一方には新興の会社がどっさり出来て男子の不足が見えて来ていたから、よしんばそこが駄目になったとしても峯子の勤口がなくなるという目前の心配はないのであった。峯子にしても自分の一生の行手を安心して眺めているのではなかった。
 これから先の何年かの後に、必ず無事で正二が還るかどうか。それは、自分の心にある願いや熱い思いでどう云えることでなかった。一生働くものとして自分を考えている方が日々が健やかに過せるし、そういう生活の態度こそ、正二が遠いところで送っている何年かの歳月の内容にふさわしいと思えるのであった。
 そういう心のきめかたに立って見まわせばただ月給がとれているというばかりの会社づとめは、単調で機械的であった。その働きかたに、例えば時間のつかいかた
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