かったわけでしょう。
 新宿のこちら側(池袋より)は被害なく用を足しました。そして、又ぐるりと電車で帰って参りましたが、初めて瞥見したところが多く、蒙っている損傷の観念もいくらか具体的になりました、そして、この傷だらけの東京に愛着を覚えます。赤坂あたりに桜が咲きはじめていてね、疎開の砂塵の間に、薄紅の花を見せて居ります。さくらは、ぐるりの景物と似合わなくて、哀れです。花を見てふと忘れていた春を感じるというだけの影響もことしの桜はもっていないようです。まあ、桜が咲いている! 言外に、さくらの間抜けさを語っているようでさえあります。ふとん包みを背負った女が電車にのって右往左往して居ります。
 島田行の切符は、二十日すぎからたのんで幾度も骨を折ってもらいましたが、駄目でした。今の切符は実に大したもので、誰も「買う」とは申しません。「手に入る」「手に入らない」と申します。「手に入れる」ことは容易でなく軍関係、強制疎開、罹災者で一杯のようです。わたしとしてはもう一つ最後の方法がありますから其を試みましょう。其が駄目だったら本当にもう駄目よ、わたしが罹災するか疎開するかしない限り。疎開は先へゆく丈
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