て特別に意味のありそうな顔つきをしていらっしゃいませんでした。こうしてみると、誕生日そのものよりも、日々をどう生きているかということが切実なのだと改めて思い又、いかにもいそがしいのだと痛感いたします。忙しがって生きて、誕生日を忘れているのも今時のお目出度さなのかもしれません。十二月二十日に国が開成山に発ち、その午後寿が来て、一月二十九日、国の帰る日まで居りました。それからきのう迄、国がひとを使う使いかたと云ったら。使っているようでは一つもないけれど。〔中略〕
わたしはきょうは、本当にお風呂にでも入って髪でも洗ってさて、と自分の暮しをとり戻したさっぱりしたよろこびをあらわしとうございます。残念なことにどっちも出来ないわ。お風呂はボイラーの底抜けが直らず、目白からもって来た桶はまだ煙突がないの、おまけにすこし底があやしいのよ。髪を洗うことは、疲れすぎて昨夜風邪ぎみでしたから、やめなければなりません。
きょうは、どこの家でもくつろいでいるのね。こうやっていると、カナリアの囀る声に混って、うれしそうにさわいでいる隣の子供の丸い足音、人の声がいたします。さっき台所の裏の氷った道を、組長さんの
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