を変化させようとせず、のたりのたりゆるい手綱をたるませてダクっています。小さい仔馬まで間にからんで、わたしは総合して生活というものを感じているから、まるで何というか肱がビンとなるほど一方の手綱が張ったかと思うと、たるんだ方の手綱が其にやたらとからみつき仔馬のたづなは間で、どっちがどうか分らなくなってしまうという風に感じます。その混乱の根本解決って何もないのよ。わたしは、家庭生活のこういう面には、実に疑問を感じます、十六年の末から四年、わたしも全くよく辛棒いたしました。北の国のお百姓は、お客に行って、十分御馳走にあずかってもう結構というとき、顎の下まで一杯に手を横にしてド・シュダーというのよ。わたしもド・シュダーね。こんど事情が変って生活を変ったら、そちらへ行くにしろどうにしろもうこういう生活へは、「お客」以外になりたくないわ。反対の面から国もそうなのよ。家内に、精神のつよい活動がおこるのが負担なのです「永い間は無理だね、マア静養する間がいいんじゃないか」そうだわたしかに。わたしにとって苦痛は実直なる人、勤勉なる人、何かせんとする人が、家内に一人もいないことです。
 さて、午後の首尾はど
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