酔い、人当りいろいろ毒素は放散されますものね。
 親舟子舟のいきさつは、相当もう保証つきと思われます。子船としての便宜、というようなこせついたことを考慮する段階は主体的にも客観的にももう通過してしまったと思われます。子船が丈夫に役立つようになったというばかりではなく、ね。あの船たちは、綱を切られてしまうか、それとも、親船にきっちりとうまくはめこになって更に遠洋の航海に耐えるか、二つに一つという時をいつか経たと思います。そして、幸組合わせうまく造られていて、工合よく堅牢にきっちり航行態勢が整えられたのであると見えます。見た眼にさえその姿はすがすがしいでしょうと思うのよ。そして、人間の生活ということについて、すこし心ある人ならば、新しく思いを誘われるところもあるでしょうと思うの。そこに人生詩のかくれた力、芸術家たる所以、作品をして永生させる根源の力がひそんでいると信じます。人生は森厳であり、そこ迄行ったとき、初めて萎靡《イビ》することのない美しさ、平凡になり下ることのない高邁さが生じるので、もしそんなところに行けるとしたら、肺活量のゆたかさについて感謝しなくてはならないと思います。それにね、「空気」ということを、わたしは幾重にも興深く感じます。空気は恐怖を感じさせない不思議な力をもって居ります。いい空気ほどそうよ、それは美味であるし快適であるし、益※[#二の字点、1−2−22]こころよく其の裡に心も身も浸そうと欲するものです。わたしに、そういう空気があり、混濁した瓦斯っぽい中で息苦しくなると、その空気を心から吸い、そして元気をとり戻します。その空気の流れるとおりいつかついて行って、そこには特別な躊躇だとか狐疑だとかいうものはちっとも起りません。これは考えれば考えるほどびっくりして、マア何と性に合っているのだろう! と満悦と恐縮を感じます。だってそうだと思うのよ、すこし謙遜な人間なら、自分に、それ程性の合う天のおくりものをさずかったら、ありがたさに恐縮せざるを得ないと思います。しかも、その空気は、本質の良質さを明瞭にするために、実におどろくべきテストを経るのですものね。実に恐縮です。そして、そのような滴々是珠玉のような空気によって、わたしが健やかにされ、天質のプラスの面を引き出されてゆくのかと思えば、殆ど空おそろしい位です。自分に果して十分の消化力があるかどうかと、畏れます。あに、精励ならざるを得んや、というのは真実であるとお察し下さい。
 お手紙がうれしかったせいもあって、きょうは二階へ水を運び上げ火の用心をし、さてそれからチャンスと思って風呂をたきつけました。いい工合によく燃えついていい気分で、台所の裏で石炭集めしていたら、どこかでザアザア水が流れる音がきこえ出しました。又どっかで水道パイプが破裂したのかと思って燃《た》き口へ来て見たら、どうでしょう、いい焔を上げていたカマの口から、地獄の洪水みたいに黒い水がザアザア流れ出して居ります。循環パイプのカマなのよ。上り湯のパイプがわるくなっているのを思い出しすぐ上り湯をあけました。それが原因だと思っていたら、さっき、みかんの皮(ミカンの少々の皮、ふろに入れると手のアレ直し)を出しに浴槽をあけたら、湯槽の方の太いパイプがそこ抜けになってしまってすっかり減っているの。ああやれやれと歎息してしまいました。これで哀れなブランカは何日かヒビだらけの手でお湯に入れなくなりました。今こんなパイプの直しなんかおいそれと引受けるところはありませんし、どうなることでしょう。もしかすると、これで当分フロおじゃんということかもしれません。そしたら目白の家でつかっていた丸形のをお医者様のところから引上げてでも来るしかないでしょう。一休みして、二階へ干したふとん始末に上ったら又ここでも水騒動。太郎が生れたときこしらえた大ダライに水を満々と張ったはいいが、いつも風呂場のタタキにあってわからなかったスキがあって畳がすっかり水を吸っているというさわぎです。バケツでかい出して屋根からすててね。漸々《ようよう》其でコメディア・フィニタ。ブランカも多忙でしょう? この頃は何でも老朽で、其を直せませんから、こうやって用が二重になったりいたします。
 老朽と云えば毛糸足袋下。はいてみたら、何と云ってもこっちが暖いわ。いくら私がこしらえたって薄いものは薄いのですもの、あなたがおやせになったせいばかりとは申せません。今年はじめて別のをおはきになったのですものね、鷺の宮であなたの足袋を縫ってくれるというので、ネルや帯芯をもってゆき、もう出来ましたって。近々足元がいくらかましにおなりでしょう。鷺の宮やてっちゃんは、歳月で褪せない暖いこころがあって、うれしゅうございます。
「風に散りぬ」の話というのはね、この間偶然、あちらに永年いた婦人
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