腕でゆうべはシャベルもって土かけしたから、きょうの工合は物凄うございます。〔中略〕
 千葉で休んで来た力で移動の仕事やってしまって、なるたけ早くここを動きます。東京にいなくてはならないということと、ここにいるということとは別ですから。今一寸何をするにも只金を払う丈ではとてもだけれども、マサカズが来た結果すこし便宜な条件が出来ましたから、それを活用して動きます。ペンも岩手の水沢というところに母を疎開させ、自分はどこかその辺で職業をもつことにします。方向が同じで、一人で困るからいろんなこと一緒にして、わたしは一人では困る道伴れになって貰うというわけです。(五反田に近い上大崎に知った家がありましたが、やけたらしいことよ。猿町がないそうですから。)
 焼あとが多いことは大したことね。昨夜そう思いました。しかし、あとで焼ければやけるほど万事が骨折りです。いろんなものが無くなるし(乗物など)。来月そちらでお目にかかり、次の月はどうなるでしょうねえ。
 七月には、ね。いつまでもおいてきぼりにしてしまったらこまると思います。移動して出たら、もう東京へは戻れないし。でもまア、万一そういうときには又その時の策もあるかもしれません。せめて夜具フトンを、と頭を大ひねりです。〔中略〕
 チリヨケ目がねで大分注意いたしましたがきょうは目がすこしパシパシ。おや、今とんでいるのは29[#「29」は縦中横]の音よ。ラジオがないとこういうことになるのね。ではどうかお大切に。今は省線が不通です。

 六月十六日夕 〔巣鴨拘置所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(封書)〕

 一九四五年六月十六日
 きょうは開成山からの手紙です。これは、いつ着くでしょうね、勿論明日わたしがここを立ってひどく混む汽車にもまれて東京へついて、それからそちらへシャツを届けに行ってそれでもまだ着かないことでしょう。もしかしたらこの次引上げの意味でこっちへ来る時分にやっと読んで頂けるのかもしれないと思います。
 こちらには、十四日に来たのよ。十日に来る予定でいたところ、うちの菅谷には切符なんか買え[#「切符なんか買え」に傍点]ない由で駄目。閉口してあきらめかけていたとき一馬という咲の兄が来て自分の切符をくれる話となりました。全く望外のことで大よろこびしたけれ共十二日に来るのが来なくて、やっと十三日の午後もって来てくれました。そこで急に支度して、ペンに久喜まで送られて来ました。国の迎えが主眼で。上野では(一時二十五分)福島行きでどうやら座席をとりましたが赤羽からひどいこみかたで久喜でペンがおりるときは窓から出ました。窓からというとこわいけれども案外なのね。大いに意を強うして郡山でも其をやらなければなるまいと思っていたところ、ともかく体は普通に降りました。大風呂敷の背負袋、国府津へなんか持って行った茶色のスーツケース(覚えていらっしゃる?)それにベン当なんか入れた袋。モンペ、くつばき。凄いでしょう。背負袋からは雨傘が突き立って居ります。
 引上げ準備のため忙殺され疲れきっていて、汽車にのったらゆっくりしたかったのに、何しろ座席の(向い合う)間に腰かけているものがあるほどの上に、あいにく向いにこしかけた男女とも罹災して大いに気合がかかりっぱなしの人物なので到頭着くまで何となししず心なし。段々夕暮れになって山際の西日が美しく日光連山から福島の嶽《ダケ》の山並が見えて来て、短い満載列車はたった一つの灯を車室につけたまま暗く一生懸命にせっせ、せっせと煙を吐いて進みます。郡山につく一つ二つ前の汽車の情景はドーミエ風でした。
 何しろ電報は都内で丸一日がかりですからいきなり来た次第です。郡山駅がやられたというから国民車というものもないという覚悟で靴をはいて来たわけでした。駅に下りたら攻撃を受けたとは云ってもちゃんと屋根もあれば水のみ所の鏡もあり、駅全体の空気は東京で忘れられたおだやかさです。一時預りもやっていたのよ。それはほんとうに平常の生活というものを思い出させます。人の住んでいる街道、家並のある道、それは何と賑やかなものでしょう。たのしいものでしょう。月が五日で丁度八時すぎの田舎道に照して居ります。ベン当袋だけ背負ってゆっくりと歩き出し一時間すこし歩きました。殆ど人通りのない街道が畑と田との間にさしかかり、やがて子供時代から見馴れた山の神の松林。そこのあたりに大きい池が三つあって桜の繁った葉が黒々と厚くつらなっている遙か彼方に山が見えます。月は明るく蛙が鳴いているの。そこを、わたしは一人で歩きつつ、東京をどんなこころもちで思いやったことでしょう。いとしきものをのこし来にけり。焼原の真暗ななかにすこしずつ点々と灯かげが見えるような東京。いとしいものはその灯の小さい影の下に生活をしている。切ないまざまざとした
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