この頃いつもだけれども。とかくプレスト時代ですからこうしてアンダンテのリズムをきき、ところどころカンタビーレの交っている諧調は耳ばかりか心を休め、養います。では明日ね。
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[自注9]塩の物語――塩分が身体に不足していて塩の美味さを痛感した話。
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四月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
四月六日
けさ、畦をこしらえた畑の土の上に雨がおとなしく降りはじめました。すこし足の先がつめたい位ね。庭の白い木蓮とコブシの薄紫色の花がいかにもきれいです、楓や山吹の芽立ちとともに。
きのうは、暑くなかったので、昼飯後、日本橋と新宿へ参りました。この頃久しぶりで地下鉄にのりました、去年の六月、青山へ墓参にゆくとき乗った頃には、まだ地下フォームも明るかったのに、今は暗く、車内もくらく、乗車券にペンチを入れず、映画館の入口でモギリの女がやっていた通り、あいまいな顔つきの女が、手先だけ動かして切符をもぎります。
三越のところまで乗り、何年ぶりかで内部をぬけ、ここでもびっくりしました。当然のことながら。ああいう場所に漲っていた消費的な光彩というものが根底から消滅して、それに代るものはなく、がらん堂な赤いカーペットの中二階にグランドピアノがありました。なかなか一種の感じよ。
日本橋まで歩いて行ったら、白木屋も使えるのは一、二階だけらしく上部はくすぶった焼籠のようです。あの辺すっかり平ったくなっていて、「講演会」のあった国分ビルの横通りで、立のき先出ているのは、栄太楼のほか唯一つ。それは何とかいう人が富山県へ疎開したということです。タバコやもその横の露路も、焼けぼっくいの下に消え果てて、裏の大通りまでつつぬけになって居りました、この辺は小さい小さい店舗がぎっしり詰っていて、一間の間口で都会の生活を営んでいたのですからこうなると、もう一望の焼跡で、生活の跡はどんな個性ものこしません。日の出[自注10]あたりだと、猫の額ほどの跡にでも立退先と書いてあったりしますが、この辺の小さいところのはかなさは凄じいものね。火の粉と一緒に、生活の根がふっとんで、もう跡もなしという形です。タバコやがマッチの箱ほどの店をはっていて、その露路の、わたしの身幅ぐらいのところの左手にガラス戸があって、「東京講演会」と書いてあったのにね。講演の速記
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