久性の確保というところまでさえも。些細なことですけれども、わたしが寿の身の上安否について抱いている関心の誠実さ、そちらへ一日も早く行きたいと思いつつ寿の好意を信じて待っていたこころもち。其はどちらも尊重されなくてはならないものです。寿は国と全く同じね、自分の側がそういう目に会うと棒大に感じ、自分の勝手で対手をそう傷けても威張っているのよ。
 きょう、午後から郡山へ行きます。そしてビューローで切符について相談いたします。今そういうことをする位なら何のために待ったでしょう。でも、もしかすればよかったとも云えるかもしれません。海の上が安心だし汽車もこわくはなくなったわけですから。そうとでも思いましょう。
 いろいろの条件から、わたしはどうでも動けるようにして、その気もちで参ります。短くも長くもいられるような気もちで。
 ここの生活は丁度おそろしい不揃の馬におそろしくぶぞろいな手綱をつけたチャリオットがころがって行くような生活よ。一頭の馬はじれたがって頭ばかりふり手綱をビンビンひっぱり荒びています、この馬にとっては手綱が短かすぎるのよ、
 もう一頭は重い鈍いしかしおどろくべき度胸で自分のテンポを変化させようとせず、のたりのたりゆるい手綱をたるませてダクっています。小さい仔馬まで間にからんで、わたしは総合して生活というものを感じているから、まるで何というか肱がビンとなるほど一方の手綱が張ったかと思うと、たるんだ方の手綱が其にやたらとからみつき仔馬のたづなは間で、どっちがどうか分らなくなってしまうという風に感じます。その混乱の根本解決って何もないのよ。わたしは、家庭生活のこういう面には、実に疑問を感じます、十六年の末から四年、わたしも全くよく辛棒いたしました。北の国のお百姓は、お客に行って、十分御馳走にあずかってもう結構というとき、顎の下まで一杯に手を横にしてド・シュダーというのよ。わたしもド・シュダーね。こんど事情が変って生活を変ったら、そちらへ行くにしろどうにしろもうこういう生活へは、「お客」以外になりたくないわ。反対の面から国もそうなのよ。家内に、精神のつよい活動がおこるのが負担なのです「永い間は無理だね、マア静養する間がいいんじゃないか」そうだわたしかに。わたしにとって苦痛は実直なる人、勤勉なる人、何かせんとする人が、家内に一人もいないことです。
 さて、午後の首尾はど
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