ペンぎり。しかし二人きりで気が揃っているので割合楽でしたが、昨夜は壕に土をかけて小学校の前の疎開地へ出かけました。バケツ一つずつに水を入れたのもってフトンもって。あとは何一つもたず。今か今かと見ているうちに東方の烈風が起って来て火はくいとまり、うちのあたりは黒いままのこり、二時半ごろ再び白いつるバラの咲いている門の中へ戻りました。三月四日にバク弾のおちた前通りの家が三四軒焼け、肴町の通りから団子坂の手前左へ折れて細い道にかかった、あの右側がやけ、(団子坂の手前のやけのこりだった小部分)うちの裏は二側あっちまで、やけました。一時前に停電になってしまいラジオも電燈も水道もなしよ。こうして確実にやけのこりの部分を掃かれて行くのを見ると、もうもう居るべき時でないと思います。
 わたしの田舎ぐらしの用意として、財務整理(!)のため来月初旬まではどうしても東京にいなくてはなりませんが、それ迄ここ数日大活動をして、ペンをつれて一応どこか山形辺の温泉に一先ず行き、そこで一ヵ月もいるうちに、きまればそこへ行くということにいたしましょう。温泉というのはね、マサカズの話で国の生活があの土地の生産者に寄食的にだけあって公共奉仕をしないので、不人気なのよ。「一人よけいに人をよびよせるのは、ハア其だけ自分の食い量が減るこんだから考えなさるがいいと云っているんです」作物を守っている人のこころもちはそうでしょう。わたしはそういう口にくるしい餌では生き難いし、わるい亭主をもったのと似ていて、中條さんと云えば旦那とわたしは別ですという生活はなりたちませんものね。こんなひどい東京にいて、私がこうしていられるのは、わたしの与える無形なよろこびやたよりに対してわたしに便利なように便利なようにと考えて、ナッパの一かたまりもくれる人が多いからよ。わたしたちにはわたしたちの存在の方法がおのずからございます。
 それにわたしはこの頃右の腕が過労のため(人足仕事の)痛くて髪をとかすのもやっとです。こうしてものを書くこまかい運動は割にましですが。炎症をおこすのだって。ロイマというリョーマチのモトの仕業の由。ところが現代ではそのロイマ奴の正体が不明なのよ。おイシャにきいたら、サンショの皮を入れた風呂に入ってみなさいというの。サンショの皮をペンがさがしたら、見えていた道ばたの山椒の樹が若葉がくれしてしまって、駄目なの。その
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