空気、あの青天井、水の燦くしぶきのこころもちよさ。雨の日は大困却だったのですが、それは思い出さず。くたびれて猶あの美味な空気を恋いわたります。
江場土での暮しをこの間申しあげましたが、あの間にね、ハアディーの「緑の樹蔭」という小説をよみました。無名時代に書いたものでハアディーが半分はまだ建築家だった頃、しんから時間をおしまず村の聖歌隊の老若の男女の生活を描いたものでした。江場土での生活には時間の制限がなかったから、この時間をおしまず入念にかかれた作品の味が実にぴったりして、大作家の力量がまだ有名と、専門化によってちっともわる光りしない時代のよさ、ふっくりさ、人生への控え目な凝視というようなものを実に快く理解いたしました。それにつれてね、十五年頃あなたが屡※[#二の字点、1−2−22]わたしの仕事がジャーナリズムに近すぎる、ということを警告して下さったほんとの工合(何故なら其は言葉の意味ではないのですもの、意味という点では一応は分っているのですから)が、ああ此処、こういう違い。とわかりました。何年越しに分って、余りゆっくりしたお礼ですみませんが、あなたの生活にてらしてみると、あの頃わたしに分るようで分っていなかったジャーナリスティックなわる光りになりかねない艷、空気がわたしにくっついていたのであったと、明瞭に分りました。それは現在のわたしの生活は、そういう鉛くさい、せっかちな輪転機の動きから絶縁されて居り、それでそこから解放されているからです。
江場土での収穫の一つとして、これは小さくない獲ものと思います。
よく、作家自身の主題とその展開の独自なテムポとおっしゃったわね。それは、普通に分るより以上のことね。丁度独自な外交術[#「独自な外交術」に傍点]をもつということは、チャーチルには決して本当に分らないように、一人の作家が独自なテーマを独自に展開させるということは、なみなみでは私たち程度のものには会得されないのだと思います。自分に教える多くのものをもっているような生活に身を挺し得るか得ないか、それ丈の馬鹿正直さがあるかないかが第一着の問題であるし。(このすこし手前まで書いたら開成山からおけさ婆さんの婿が来ました。)
二十六日、きのう一日そのマサカズの出入りや注文(国の、よ)で大ごたつきをして、前晩空襲だった疲れがぬけきらなかったら、昨夜又候。昨夜はわたし一人に
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