ている店でヴェラスケスを見つけました。ヴェラスケスの自画像があってね、それはゴヤのあの畏怖を感じる慓悍な爺ぶりでもなければ、セザンヌのおそろしい意欲でもないしレンブラントの聖なる穢濁の老年でもなく、いかにもおとなしくじっと見てふっくり而もおどろくべき色調の画家らしい自画像です。
ヴェラスケスの絵はたのしい絵ですが、ウムと思うのはゴヤです。ゴヤはヴェラスケスが描いたフィリップ四世のデカダンスの後をうけて全く崩壊したスペインに、愛着と憤怒とをもって作品をのこした画家で、あの時代として男の中の男というような男ね。淋漓というようなところがあります。声の響のつよさが分るような、面白くねえという顔した胸をはだけた爺よ。それであの優婉なマヤ(覚えていらっしゃるかしら、白い着衣で長く垂れた黒い髪した顔の小さい女が、ディヴァンにのびのびとして顔をこっちに向け、賢くておきゃんで皮肉で情の深い顔しているの)を描くのですものね。ヴェラスケスはセザンヌとちがうが純絵画的な画家ね。ゴヤはちがいます。ゴヤは表現の欲望そのものが、生《なま》に人生をわしづかみにして来てしまうたちの男ね。描く女も従ってちがうわ。ゴヤの
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