春の陽に、もゆるは哀れ緑なす草、という風なところへ一条の好信、春風に騎《の》って来る、というようなところがあります。そのよいたよりというのがなんだときかれたら、わたしは何と答えることが出来ましょう。見えもしない、聴えもしないところにも、いいたよりがあるものなのを知っているのは、雪の下なる福寿草。
 三十一日に、二十九日づけのお手紙がつきました。それを、食堂のこたつであけてよんで、あと働き用上っぱりのポケットへ入れて働きました。バルザックのほかによむものの話、そうだと思います。
 この御手紙の前半にあることね。わたしは本質的には、しわん棒なんかの反対なのよ。しわん棒が義理のつき合いに骨折るなんて例は天下にありませんしね、詩を自分から溢らす人間がしわい性根ということもあり得ません。そういう印象を得ていらっしゃるとしたら、其はわたしがそういう方面が下手で、時々こわがっているそういう瞬間が結果としてそう映るし、そういうことにもなるのね。わたしに対しては、しわいという評は当りません。実際の技量が低くて、重点を巧みにとらえゆく力量が不足で、そちらの緊要に鈍感で、世間並から見ればおどろくほど大きい気
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