すものね。
自分たちのこころにいく条の絃があるか知らないけれども、それが緊張し鳴らんとするとき、高い音から低いなつかしい低音までを、すっかり、一条のこさず、ふさわしいテムポでかき鳴らされるよろこびというものは、本当に、どんなにつつましく表現しても愉悦という、むせぶようなよろこびがあります。理性のいくすじもの絃、感覚のいくすじもの糸。それは互から互へ鳴りわたって、気も遠くなるばかりです。吹く風にさえ鳴るようなときがあるのですものね。互が互にとって手ばなすことの出来ない名器だということが、仕合わせの絶頂であると思います、それは全く調和の問題であり、しかもそれが可能にされる条件の複雑さといったら。めぐり合わせとか、天の配剤とか人力以上のもののように考え、ギリシア人が分身(一つのものが二つに分れている)と思ったりしたのも、素朴な感歎の限りなさから出発して居ります。
お手紙にある「峠」のうた、それが「どこらの峠かときかれるなら」という一連の詩趣は、わたしの好きなセロの深い響をもって伝わります。くりかえしくりかえしその一連を読んで、峠をうたった古典を思い出しました。あの有名なヘッセ(?)の「山
前へ
次へ
全357ページ中252ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング