給のことで二三度立って、その一度は外へ出て、二十七日づけのお手紙頂きました。ありがとう。
 体のこと心配して下さるから、きょうは、二人遊びの中にすこしこんな話も交えましょう。
 疲れることは、相当つかれます。しかし、御承知の通りの家の中のゴダクサつづきで去年の夏から心持よくしっとりした日というものがなく、巣鴨へゆく時間だけが一番心理的にも健康というひどさでした。やっとこの節一段落で、自分の体のための食事についても遠慮したりしないでよくなって、公平に見て、こんな単純な体のつかれと、今の暮しかたから得ている心持の伸びやかさ、合理さ、食事の合理性と、釣りかえにならぬプラスがあると思います、この頃の日常というものは、けわしくてね。先頃のように十分働く必要もないのに、いなくてはならないという雇人の人たちに、奥さんが落付かないまぎれにおだて上げて万事まかしていた状態は、云ってみれば生活でありませんでした。
 ほかの友達たちも張合のある気で親切してくれます。自分が、きりもりしていますから、今日は疲れていると思えば、そのように注意して食べ、さもないときは次の用意にまわしておくと、万事一目瞭然で、ほんとうに心持よい暮しです。夜は十時ごろ必ず眠ります、そして眠りは深淵のようです、病気しなかった頃のとおりで、夢もみないという位になり、これもわたしはうれしゅうございます。そして又うれしいことは、誰でもこの家に出入りする人は家の新しい活気をひとりでに気づいて、「一人と思えないわね、何だか賑やかな気分よ」ということです。これは千万言よりうれしいわ。こんなガラン堂のような家が、私の暮す気分で艷をもって家じゅう荒涼とはしないで、却ってしっとり艷があるなんて、どうか旦那様も扇をひろげてよろこんで下さい。その艷は、廊下にゴミがあるということとは別なのよ。廊下にゴミがあったって、其は埃よ。心もちから積んだ沈滞ではないわ。うちは垢ぬけました、それは心のあぶらがゆきわたったからよ。この間国にそのこと話して「気がついている?」と云ったら「そう云えばそうだね、不思議だ」というの。「人が住んで荒らす生活だってあるよ。つまり、姉さんは相当なものなんだという証拠だけれど、わかるだろうかね」と云いました。「そうらしいね」と云って、「うまい、うまい」と里芋《サトイモ》をたべました。この人には里芋のうまさの方から、姉さんのねうちがつたわる口ね。ともかくそういう工合で、この暮しに使い立てられては居りません、夏になる迄、これでやろうと思います、暑くなると買出しや隣組の月番の外出がこたえますから、そしたら方法を考えましょう、夏の暑さには抵抗力がないから。暑気負けは、どうしてもそうですね。その夏までに、又万事がどう代りますか。それに応じてね。
 食事のことなど、御安心のためならば献立かいて上げていい位に思うけれども、わたしとしてそれは辛い心持なのよ、よう致しません。一言にして申せば、あなたの上るものよりも確実にいい食事をして居りますから。特にこの頃は。ですから、わたしのその心持を汲みとって下すって、どうかまかせて御安心下さい。ほんとうに、この一ヵ月、私が台所をやるようになってから改善され、筋も通った衛生的食事をして居りますから。無いならないように、有れば有るということをはっきり身につけ暮して居りますから。隣近所とのつき合も、この節はむずかしいが、自然に、私流に、親しみが出はじめました、それでなくては、こんなときやれるものではありません。誰も彼もが時間を浪費し骨を折って暮しているから、あの人も同じだ、というところに心の和らぐものがあるわけです。
 心が和らぐと云えば、わたしはこの頃そうなのよ。ゆっくり先のように手紙かいている時間もないみたいな暮しになりはしましたが。暮しぶりにはわるくないと思って居ります、金曜日28[#「28」は縦中横]日のことは、お目にかかって。これもすらりと行くらしい様子です。
 世田ヶ谷の人から、ドイツ語の本もらいました、「緑のハインリッヒ」をかいたケルラーの「三人の律気な櫛職人」というのと、シェファーという人の「ドイツ逸話集」。アネクドーテンというのね、北の方ではアネクドートです。この人もひどいつとめらしい様ですし、「茂吉ノート」の先生も大した様子で、何だか二人とも(特に本の人は)短気になり、面白くなさそうでおこりやすいわ。細君が、すこし気を張っていて可哀そうです。子供二人は元気で、節造という三つの男の子はほんとに男の子よ、可愛くてそれには目尻を下げて居りますが。「どうもこの息子はユーモラスなところで親父まさりらしい」と云ったら、親父さんへへへとうれしそうでした。あなたにそのこと話したら、あなたはフフフフとお笑いになるだろうと云ったら、おやじさん、俄然もち前の笑い声でハ
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