うようだと人間がくさるから、と云ったらそれはそう思っているそうで、何か、電気関係の会社の何かをやるらしいようです、正直のところそれは怪しいのよ、実業方面ですから。あの人の性格では合いません、内部抵抗のつよい男ですから。それでも一昨日だったか何かの話のついでに、わたしにあやまりました、姉さんの誠意に対してすまなかった、と。あれやこれやをひっくるめての意味ですが。そうあやまって自分も明るくしているわ、私もよかったと思います。マア借金と心の負債は、そのとき出来るだけで返しておくことです、又かし借りのできるのは仕方がないわ、それはそのときのこと。
 うちの畑は何というか、ひよわい子をもった母さんのような気を起させます、きのう南瓜の種を五つ蒔いたがどうなるでしょう。つるなの箱で雀が砂浴びして、掘って種をとばしてしまったらしいのよ。きのうよくよく見たらば大粒の種がむき出しになっていました。ことしは初めてで、自分のやりかたが自分で分らないし土の工合も分らず、たよりないことおびただしい始末です。それに今は、ここへ植えても、この庭の部分はひとが使うかもしれず、というところもあって。おとなりのうちは年中畑眺めていて、ちょいちょいの手入れがいいのねきっと。まめであるか、欲ばりか、どっちかでないと。二時間時間がまとまってあると、さアとこうやってテーブルへくっついてしまう細君は、畑むきではないのよ。
 健坊歩き出しましたって。見とうございます。健坊は、うちの子としては明るい面の多い子です、太郎もおそらくあの暮しで、のびやかになるでしょう。御機嫌[#「御機嫌」に傍点]というものの影響をいつも受けるのなんか子にとってよくないわ。咲ものびやからしく、庭の花々についていつもうれしそうに書いてよこすそうです、こういう時がすこし続いて、あのひとのキョロキョロも直るかもしれません、そうすれば其は一番いい丈夫になりかたでしょう、しんから神経が休み開放されるのですから。
 わたしの歯は、一本神経をぬいたところ、あとが水や湯がツーンとしみてしかめ面になるほど痛いのはどうしたわけでしょうね、妙なこと。今日よく話しますが。神経とるときに突つきすぎてしまったのかもしれないわね。
 明日は火曜ですが月番第一日でいないといけまいから、今日歯医者とそちらを行こうかと思います、だとするともうやめなくては。この間うち台所用本で、深田久彌の「命短し」、矢田津世子の「鴻ノ巣女房」というのをよみました。こういう小説家たちが、みんな一種の語りて[#「語りて」に傍点]、お話し上手となってしまうのは不思議なこと。内面へ立体的にきり込まず、面白い話しぐちという風にまとまるのね。栄さんなんかも生れながらの民話の伝承家ですが。何か日本の精神伝統の関係ですね。そういう点で、矢田という人は、円地その他真杉などという人よりは、まとまり且つ自分の小さい池をどうやらもったというところで生涯を終ったと思います。小さい池に楓の若葉かげも、白雲も、雨のしずくもしたたるという意味で。このひとのは庭上小池でしたが。どこまでも。人のこしらえたもの、ほどよさ[#「ほどよさ」に傍点]でまとまったもの。だから、秋の落葉に埋めつくされる、という場合もあるわけです。そうはないようにと、箒を手ばなさなかったところがあるでしょう。
 アラ、もうよさなくては。そして御飯たべて出かけるようにしなくては。きょうはネマキもって参ります。もうすこしましなのを、と思っていろいろ思案しておそくなり、やっぱりもとに納りました。これはきっと背中がやぶけてしまうでしょうね。

 五月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 五月十六日
 今、午後一時半。この食堂いっぱいに青葉照りとでもいうような、すこし眩しい光線がさし込んで居ります。お話したように、きょうは月番の第一日ですし、米の配給日で、何しろこれはもう一粒もなくなっていたところですから、謹んで内玄関をあけて、居ますヨと表示して待って居りました。来て、九キロ(半月分)おいてゆきました。三円八銭也。
 昨夜は国、横浜の友達のところに泊ったので、わたしは九時半ごろ床に入り、のんびりしていたらいつか眠りかけ、びっくりして雨戸しめて本当に寝て、今朝起きたのは九時。十分眠りました。そのわけなのよ。きのう、あれから家へついたのが六時すぎでした。御飯がきれていて、それから炊いたから食べたのは八時すぎ。大ペコのペコでね。たべたら眠くなった、という犬ころの如き天真爛漫ぶりです。
 きょうは、咲や国のふとんを日に干しに出して、犬ころにサービスして遊びました。茶と黒のコロコロ二匹だったのに、どうしたのでしょうか、黒しかいないのよ、きのうから。一匹のこったというのでしょうか。シートンが大層役に立ってね、その仔犬と近
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