女はどれも女の肉体に衣服を着て、その肉体はいいこと、わるいこと、ずるいこと、うそさえ知っていて、しっかり大胆にタンカも切って世をわたっている人たちです。大公爵夫人にしても、よ。ゴヤの女たちが、みんなしな[#「しな」に傍点]をしていなくて、二つの足を優美ながらすこし開いて立っているのは、何か人生への立ちかたを語って居ります。ヴェラスケスやヴァン・ダイクは衣服の華美さを、絵画的興味で扱っていて、人間が着ていて、裸になったって俺は俺というゴヤ風のところはなく、顔と衣服とは渾然一つの絵[#「絵」に傍点]をなして居ります。小説家はゴヤに鞭を感じます。
こんなに色刷の貧弱な絵の本ももうこれからは何年か出ますまい。そう思うと十年以上前に大トランク一つ売った絵を思い出します。パリで妙ななりをしていても、これ丈は、と買ったのですが。惜しいのではなくよ、どこの誰がもっているやら、と。いずれは日本の中にあるのだから、わたしも日本の美術のために数百円は寄与したわけです。マチス素描集なんかがどこかでヘボ野郎の種本になっていたりしたら笑止ね。
ああああ、どうしても歯医者へ行かなくてはならなくなりました、上歯の妙なところに穴がポッカリあいてしまったわ。
歯医者へゆくとわたしは全くいじらしくおとなしいのよ。眼医者へゆくとしおらしく不安なのよ。歯医者は、肴町の近くのところへゆきます。メタボリンが岩本さんにも手に入らなくなっている由、「万難を排して」買って下さる由、県視学となって下関へゆくそうです、頂上の立身でしょう。下関とは、しかしこわいところね。お祝いを云ってあげなくては、ね。豚娘(!)さんが赤ちゃん生んだそうです。女の子をこう謙遜して云われると笑い出してしまいます、西郷南洲を見込んで好いた女は豚姫といったのですって。
四月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
四月十六日
ね、二人遊びは面白いでしょう、きょう一日あなたは私のするいろんな細々したことのお伴で、夜床に入らなければ放免にしてあげないという工夫です。
さて、さっき始めの封をしていたら、庭の方からカーキ色服の男の子が現れて、「魚やの配給です」「ああそう、どうもありがとう」「僕とって来ましょうか」「ありがとう。でもきょうは居りますから自分で行きます。」この男の子は裏の洋画家の長男です。父なる画伯は縁側に坐って
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