ぶきが流れて居ります。清明な光が透徹して居ります。ああ、実に、云うに任せよ。詩人に生れたものは、おのれの生涯をもって至醇なる芸術とすることしか出来ないのですものね。ダンテにああいう詩を書かせたメジィチ一家は一つのソネットさえつくりませんでした。
 人は、極度の侮蔑を感じたとき物を申しません。人は極度のコンパッションを感じたときやはり物を申しません。そして、人間の自然さが流露して、そういうときには、対手をこころから抱擁し、言葉のない情無尽の思いをつたえます。そういうおのずからの表現が不可能のとき、どうしたらいいでしょう。しかも、その一種類の感情ばかりでなく、二つが交り合って打つ場合、人はどういう身ぶりをしたらいいでしょう。
 口がきけないという形で一定の時間がすぎます。そして、そのうちに、時間的時間観が、歴史的時間感にすっかり移り、すべてのものが在るべき場所に再び安定し、万象が奇妙に透明になってしまったようなのが癒って、やがて人は口をききはじめます。そのとき、人は、もう決してもとの人ではないわ。
 鉄に一定の電流を通すと、組織に変化が生じます。日本の宝本多光太郎博士はそのことをよく知っていらっしゃるのでしょうね。それらの電流が、鉄を、どんなに人類の役に立つものにするかそのことをよく御承知なのでしょうね。
 きょうあたりの寒いこと。こうして書いていて手がかじかみます。アンポン式足袋はいかがでしょうか、あれでも純毛よ。出来上りがいかにもおそるべき手工品ですけれども、作りかたには叶っているのよ。悪料理人の手さき仕事ではないのよ。おとなりの細君に教えて貰って、そこの縁側で縫いました。離れの家、あなたもお当りになったコタツのある方の。底がぬけたら又一足こしらえましょう、二足ぐらいは入用でしょう、きっと。自分にもこしらえます、さむいわ、こうしてかけていても。
 ことしのお歳暮には、こころをこめて、かざらしを一つさし上げます。よくよくお似合いになるのを、ね。万葉の詩人は、あぶらの火に見ゆるわがかざらし、と、素朴な全生活の明暗を髣髴させてうたいました。でも、現代では、かざらしの花のえましさの見えるのも、複雑多彩な光照によってであるし、ひと花ひと花とつみ集めて編まれるかざらしも、野《ぬ》ゆき山ゆきというより遙に深い含蓄をこめたものです。あなたの額に、どんなかざらしが似合うでしょう。その
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