と何遍も声をかけます。下へ行くからとどなるの。今夜からやっと私も放免です。太郎と並んでねると、せまくるしいと思うのよ、そして其を現金と思う私の心は、まだ天国から二足ばかり出た太郎には分りません。

 一月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 一月二十六日
 二十二日のお手紙、昨夜頂きました。ありがとう。きょうは、何となし珍しい日ね、気温が暖いというのではないけれども、大気がゆるやかで、庭土の地肌が春めいてうるおって居ります。柿の幹が雨にぬれて黒く見えるのも気が和らぎます。寒は暦の上では二月四日にあけるのですものね。昨夜は霜がふらなかったのね、しもどけの土の、人に踏まれないところは、細かく粒々立ったようでなつかしみのある眺めです。こんなに愛嬌のない東京の冬の終りにさえ、こんな「春立つけさ」の感じがあるのですもの、永い冬ごもりの雪国で春めくうれしさはどうでしょう。そんなうれしさからでも、北のひとは人なつこくなるのね。
 こんな風に早春をうけとる自分の心も面白くかつ又いじらしく感じます、わたしの春陽はいずかたよりと思ってね。
 二十二日のお手紙、笑う口元になりました。全くね、ブランカがバルザックわきにおいて一首ひねる姿はおなぐさみです。源氏物語をよくよんでみると、式部の小説家としての人生の見かた、描写、大したものです。しっかりしている、しかし沢山の歌はこのように小説の情景を鋭くとらえる人が、とおどろくばかり。品のよいのが只とりえ、間違いのないというところを行っていて、殆ど描写も情の流露もなく、干菓子のようにつまりません。面白いでしょう? だからわたしも余りあなたを悩ませることはいたしますまい。今月はこれで終りよ、即ち

[#ここから3字下げ]
ふるさとはみぞれ降るなり弟よ南の国につつがあらすな
[#ここで字下げ終わり]

 二十二日の午後隆治さんの小包こしらえていたら、音を立ててみぞれがふって来ました。二十三日の前日でわたしの心はやさしくなっていたし、ああみぞれ降るなりと思って、隆治さんの本の間に紙をはさんでかいてやりました。これだって、御元気にね、というだけよりはやはり心の波がうっているでしょう、下作にしろね。
 送って下さった本つきました。
 幻滅は、こちらよ[#「こちらよ」に傍点]。こちらよ[#「こちらよ」に傍点]、折角貰ったのだからどうぞお間
前へ 次へ
全179ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング