ってそこにいて、眠るのは二階らしいの。食事は食堂だって、腰かけの。うちのような工合ね、同じことして居りますもの、食堂で今はこれさえ書くのだもの。やれそうでしょう? 運がよかったと思い贅沢は申しません。これで一区切りね。そして第二次夕飯よ。今夜はよく眠れそうです、月夜でしゃれているし、こうやってすこし話せたし。
八月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 福島県郡山市開成山南町一八六中條内(封書)〕
八月十一日
きょうは、十七八年ぶりで、ここの家の奥の机でこれを書きはじめました。こんどは急に来て御免なさいね。二十五日に国、咲がこっちへ来て、国の帰って来たのが四日。その晩に、こんどは姉さんも是非つれて行くよ、という話で、わたしもホトホトグロッキーだったから、それは行きたいけれど留守をどうするのさ、と云ったら、それについちゃあ相談して来た、と事務所に十何年勤めている女の子とその親友の子供づれの女のひとに来てもらうようにしたのですって。何しろ九日にはどうしたって立つというのに、それ迄に果して留守の人が来るものやらどうやら何だか分らなかったので、お話しするのも火曜日になってしまったわけでした。
火曜日の夜留守が確定して、水曜日の立つ朝その人たちが来たのよ。三十一日の寿の引越し、四日の大掃除、手伝いに来たクマさんは一日に帰ってしまったので、全くえらい疲れでした。
途中腰かけられ、五時間ほどして黒磯辺からは空気も高燥になり汽車もすき七時五十何分かにこちらへついたときは、田野の香いが芳しい涼夜でした。
それにしても、今の旅行は一人で出来かねることね。何しろ十六年に島田行ったきりで病気以来はじめてだから、切符買う証明、駅へ前日行って買うさわぎ、上野駅の列、座席の争い、そのためのマラソン、一人では気負けしてしまうようでした。わたし一人では温泉へもやれないと云っていたのは本当ね。制限になっていてこれですもの。特に今は学童疎開で、その制限が一層なのに。
こちらは何と云ったらいいかしら。変ったと云えば実に変りましたが、ここの芝生の庭からの眺望は大して損われていず、広闊な耕地と、彼方の山並とが見晴らせ、人が住みついているので、却ってわたしが元来た頃よりは荒廃の美が現実生活で活気づけられて居ります。客間の、ひーやりする籐の敷物、古風なオールゴール、白いクマの皮などが一年に何度あけられるか
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