九三二年に十九貫あったのよ。わたしとすればレコードですがそれでもやっぱり太く丸いというわけでしょう。
 きょうの新聞でみると、学童が四十万人(六都府県)から各地へ集団疎開いたします、本月中に。千駄木でも三年以上は、その級がいなくなるのですって。学校のそばの疎開も、こわしの方は完成して、すっかり建ったばかりの家々(分譲地でしたから)もこわれ、材木の山と化しました。目白も沿線はこわれて陸橋の左右、角の果物屋も交番側のマーケットもなくなりました。池袋の武蔵野デパートね、あすこもありませんし、こっちの角の森永だったかしら? 三角のところ、あすこもすっかりありません。省線にのって行くと、おどろくばかりです、沿線はこわされて。ともかく家々には生活がつまっていたのですものね。方丈記の、人と住居とまた止ることなしと云ったのは、戦国時代の京都をよく表現しているということを実感いたします。東京も表情が随分変化したものです。
 御注文の本は「消化機疾患の診断と治療」というのでしょうか、御送りしてみます、腸疾患というのはないようです。ひょいひょいと高く熱が出たりなさらないことは、あなどりがたいプラスの由。封緘一緒に送ります。
 今午後二時、九十九度です。大きい大きい埃及《エジプト》人のウチワで煽いで上げたいと思います。

 七月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 七月二十三日 日曜日
 今午後の二時すぎ。わたしは珍しくのんびりして食堂のテーブルでこれをかきはじめました。こうやって手紙かくときは、いつもガタガタ連隊は出かけて居りません。その上、きのうから手伝いが来ました。樋熊さんという名よ。どこかの樋のところに熊が出て、その樋のそばに住んでいた祖先の末ででもあるのでしょう。トーテムのような名ね。台所のあれこれのひきうけ手があると、こうもちがうかとおどろきます。わたしはもうピンチだったの。十四日以後十六七日ひどく暑うございましたろう? あれでピンチになったところへ先ず咲が来て、その人が来て、わたしは昨夜は八時すぎ、就床いたしました。そして例により十二時間眠りました。それに昨夜は涼しくて、汗かかず眠れ、きょうは大分もりかえしました。
 そちらいかがな工合でしょう、おなかの方は。暑いところ、不如意一層で御苦労さまです。うまく納った状況でつづいて居りましょうか。あっちこっちの
前へ 次へ
全179ページ中90ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング