うのよ。あすこは一人ですから。うちの半分ね。うちは四分の一の小さい半分貰います。芸術の神様たちの養分としてはいかがかと思われますね。
 今このテーブルから見えるところに、あなたのドテラ二枚ふらふらと日向ぼっこして居ります、余りよごれず、来年使える程度なのは本当にありがとう。これを虫よけ入れて、開成山へ送っておきましょう、覚えていらして下さい。ドテラ二枚とも、よ。きのう洗った足袋もフラフラして居ます。
 この間、歯医者の帰りに、ガンサーの『アジアの内幕』を見つけよみはじめました。あなたはヨーロッパの方を、およみになりましたっけか。考えかたや観察の深さよりもインフォーメーションが面白いのね。荒木大将邸の虎の皮や鶴亀の長寿のシムボルが西欧の目にどんなに映るかなどというところも、日本人として面白く且つ参考になります。
 支那の部は大分面白うございます。東洋、日本が、どんなに分りにくいかというのは、この本を見てわかるし、例えば(三井)の祖先しらべの中に、藤原の出で、道長という青年貴族[#「道長という青年貴族」に傍点]が藤原をきらって宮廷生活を去り出生した村の名三井をとって姓とした、多分[#「多分」に傍点]修養のため隠遁したのだろう、と日本人としては、著者としての信用問題にかかわりそうな間違いを犯して居ります。インド、アラビアにまでふれているから、面白い本と思います、「ヨーロッパ」の方が、ましであるという意見は本当でしょう。同時に、日本人[#「本人」に傍点]が東洋をどの位知って居り、近似感をもっているか、ということについても反省されます。近くて、而も遠いというのが日本と他の東洋諸国とのいきさつのようね。日本人はちがうと[#「がうと」に傍点]いう、習慣的な考えや感じが日本人につよくあって、その程度は他の東洋人に推測がつきかねるところに、いろいろ複雑になるところもあるでしょう。
 きのうここいら迄かいたら、庭にいた犬が吠えはじめ、ピー、ピーと短く区切った口笛がしました、太郎の口笛なの。マア、太郎ったら。すっかり田舎っぽい日にやけた顔色になって、落付いた少年ぽさで、田舎言葉で、見ちがえるようです。よかったこと。黙って大にこにこで。早速裏の親友ミチルちゃんと遊びはじめました。うちの連中のいいところは、田舎に対して都会風の偏見が全くないことです。子供は、だからすぐ自然田舎言葉になって、周
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