頓着に育てられて丸く小さくなってしまったように、丸く小さいところがあるのよ、きっと。残念ね、骨の折れるだけも、ね。
 こんな小さい字もかくから、大分よくなっているようですが、寧ろこの頃は眼のわるさになれて、まがったペンを使いこなすように、悪妻を扱いこなすように、こなしはじめたのではないでしょうか、チラチラはひどいままなのですもの。眼とは面白いものね、顔全体出て見える眼はこわくなくて、せまいすき間から眼だけ見える眼というものは気味わるいし、おしゃれの女がその効果をつかって、ヴェールから目元だけ出すのも何とずるい技巧でしょう。わたしは出来たらこの眼をあなたに届けて、何とか工合を直して頂いて見たいようです、
 おなかぺこについて心痛いたします。もうお眠れになれたでしょうか。

 一月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

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道ばたにならび居る子ら喉をはり
  勢一杯にうたふ「予科練」

さむ風に総毛だちつつ片言の
  女の児まで声あはせ居り

けふはなほ正月七日風空に
  凧のうなりのなきが淋しき

風おちぬしづもる屋根に白白と
  雪おもしろく月さしのぼる
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 何の虫のせいかこんなものが出来てお目にかけます、どうせ又出なくなってしまうのよね、きっと。もう一つ或人に書いてやった文句


 さるの子も親にだかれて松の枝

 これは可愛らしくて気に入りました。
  十日

  つまりお正月のなぐさみと申すべき。

 一月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 一月十七日
 十五日づけのお手紙きょう頂きました。何よりも先ずすこしは正月らしくなったのをおよろこびいたします。本当に旧正月がい[#「い」に「ママ」の注記]わ。暦の上では何日でしょう。わたしは今年から生活の整理のため又日記をつけはじめましたが、普通の日記というものはなくなったので、十六年のを使っているのよ。ですから何だか見当がつかないけれど。ことしは面白い年で、一月の二十三日も二月十三日も、日曜に当ります、そして二月は二十九日よ。女のひとから求婚してもよいと云われる年よ。
 去年の後半は私も揉みくちゃになったところがありましたが、云わばもう其で揉みぬいたようなところが出来て、今年はもう全く心機一転よ。相変らずの、手のかかったことしてやっさもっ
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