すると突然、何か巨きい火花のようなものが、天と雲とを貫いて光ったと見るうちに、一条の稲妻が、伝説時代のめぐりかえって来たような雄渾さで、はっしと白い城の上に閃きかかりました。山も谿もその光にくらんで、城さえ瞬時は光の矢の中に霧散したと思われました。
 城はしかし光に散ってはいませんでした。天にある力と地にこもる力が互にひき合って発したその唯一閃の大稲妻は、その白い城の一つの薔薇窓から直線に走り入って、薄桃色の瑪瑙《めのう》でしきつめた一つの内室の床を搏ちました。稲妻は光ではなくて、何かもっとちがった命の源ででもあったのでしょうか。薄桃色の瑪瑙の床は、稲妻に搏たれると同時に生きている女のように身を顫わせました。
 天を見れば、炬火のような稲妻のかげはもう消えています。なだらかに高い山の頂きをみても、そこには空の色がてりかえし、今はしずまった灰色の雲の片がとぶばかりだのに、瑪瑙の床を搏った光ばかりは、どうしたというのでしょう。そこから消えず、燐銀の焔の流れのようにそこに止っています。その焔にゆすられるように薄桃色の床は顫えをおさえかね、果ては唇をでも音なくひらくように、こまやかなその肌理《きめ》を少しずつ少しずつ裂かせはじめました。
 次の朝、太陽はいつものとおり東からのぼり次第に金色をました光の漣にのって、谿谷をすべり、山の頂をてらしつつ白い城の窓々を訪れました。が、朝日は稀有な見ものを見たように、暫く日あしをたゆたって、その薔薇窓のところから去りかねました。太陽は、数千万年地球の不思議をあまた見て来ました。それでもおどろきというものはまだのこされているのを知りました。
 毎日、毎月、毎年、変りないなめらかな薄桃色の床に挨拶しつづけて来た太陽は、この朝、全く思いもかけない発見をしました。太陽が、あちら側の山河や人間の都会と村を照らしていた間に、この人跡絶えた城内で、何事がおこったというのでしょう、昨日までの瑪瑙の床は、もうそこには在りませんでした。こまかい唐草模様の浮いた四つの壁の中央に今みることの出来るのは一つの大きい花ばかりでした。しかもその花は、まだ生成の最中にあるらしく、肉のある敏感な花びらの一つ一つが、息づき乍ら揺れながら燐銀の焔の中からのび上って来ます。ああそして、どんなつよい命がふきこまれたからというのでしょう、そうやって揺れ息づきながら、花は尺度で計ることの出来ないほど微かな生成をつづけながら、名状しがたい美しい無我で花びらを呼吸とともに収縮させ、そして弛緩させます。収縮させ、弛緩させます。
 太陽は、花のその息づきに、いつか自身の光波を合わせて息づいている自分に心づいて更に更に愕きました。
 太陽は朝ごとに甦えり、死も老いも知りません。そういうものを知らぬ自分というものを知ってから、もうどれだけの時が経ったでしょう。今、花の収縮のなかにおちそうになった自分を感じ、太陽は、自分が今若くあるよりももっと前にあった自分の熱さを計らず思いおこしました。人間が生きていられるだけの熱さに、おだやかなるあつさにもなることを覚えてから、経た年月を太陽は思いかえさずにはいられませんでした。悲しみと歓びの不思議な波が太陽を夢中にさせました。太陽は我を忘れて、瞬間太古の熱さにかえりました。そして、灼き燃えたつ光の珠となって、その花びらの軟くきついしめつけの中におちて行きました。
 異教《ペガン》の歌《ソング》というのは、どういう物語をさしていうのでしょう。ギリシア人は、太陽を決して花びらの間におちる神だとは思っていませんでした。信心ぶかく伏目がちなイエス、マリアの使徒たちは、一閃の稲妻が瑪瑙を花に変えるいのちの奇蹟を、自分たちの救いの中には数えませんでした。
 さもあらばあれ。わたくしは、良人のために異教《ペガン》の歌《ソング》の美しい一節を奏でます。

 十月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(カーフ筆「静物」の絵はがき)〕

 九日。隆治さんのところを申し上げます。濠《ゴー》北派遣堅第九四五〇部隊藤井隊 です。堅というのはよくわからないことね、でも字はそう書いてあります。パンの上にでもつくのかしら。
 お引越しはすみましたか。こういう台所はあんまり食慾をそそりませんね。

 十月十一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十月十一日
 十七日までに着かすためには、もうきょう手紙を出さなくてはいけないことね。
 ことしは実に迅く一年が経ちます。春までは半分正気でなくてすぎた為もあるだろうけれども、何よりあれこれと用も多かったからでしょう。これ迄念頭にもなかった種類の用事が例えば戦時保険一つにしても加って。私は小遣帳というものをつけて居て、それに今日は九月九月と書いていてさっきびっくりして訂正いたしました。あなたにも今年は迅かったでしょうか。
 ことしは思いがけずひどい病気をなさり、やっとそこを通りぬけになってのお祝日ですから一層心に鮮やかです。何はなくても、菊の花はありますから、どの部屋も菊の芳しい香りを満々とさせましょう。天気がよい日を希います。天気が晴れると菊の匂いはひとしおすがすがしくていい心持ですから。みんなに何か食べて貰いたくてしきりに考えて居りますがどうなるやら。わたしはそういうことのためにまだまだ駈けまわれませんから困るわ。ああちゃんは泰子で一杯ですし。お祝いに、ああちゃんは丈夫な白の木綿ふろしきをくれました。これは全く素晴らしいおくりものよ。シーツになるのよ。わたしがはったとにらんだものだから、その魔力にさそわれて、おくりものに化してしまったの。
 わたしはすこし恐縮に感じて居ります。それというのは、どうもわたしがお祝いにあげるよりも、たっぷりまことに心のこもったおくりものを頂いているようで。
 美しき異教《ペガン》の歌《ソング》の一節は、わたしの肉体から生れたものではあるけれども。その歌のモティーヴをさずけられたとしたら、作者はやはりその啓示に感謝しないわけにはゆきません。小説の筋がきをお祝にしようと思っていたけれども、それはおやめにして、あの歌で代えます。その方がずっとふさわしいわ、ね。その上、生れてしまわない子について話しにくいと同様で、胎内にうごめいているものを早目に話し日の目に当てるのはどうも何だか変です。明日行くときに、多賀ちゃんが縫ってくれた暖かそうなどてら持ってゆきます。暖いようにと思って縫った心持を着て頂けたらと手紙にありました。何年ぶりかで、そんなどてらも召すのね。きっと暖かだろうと思います、そして、足もつめたくはおありにならないでしょう? こういう秋の季節の明暮、ほのかに足も暖いのは、ゆたかな和んだ気分です。
 きょう、本棚いじっていたら小じんまりした小曲集がありました。勿論それはもうこの年月の間に幾度かくりかえして読まれたものではありますが、新しい気持でみると、又ちがった節々が目にもつきます、なかに人の心のあどけなさにふれたようなのがありました。「どうして?」という題なのよ。若い女のひとの心持として歌われているのですが、そのひとがわが小箱のなかの秘愛の珠玉をもっています。その珠玉の美しさは直接描かれていないで、しかもそれに傾けている愛着がどんなに深いかということを語るのに詩人は面白い角度からとらえているのよ。その女のひとは、余り自分の心を奪うその美しいものを、思わず見入る自分の顔を、鏡に見られるのも羞しく感じるというその心持からうたっているのです。わたしの眼差しはそれに牽かれ、珠の深い輝きが瞳に映る。やがてそれはわたしの面にまでもかがようのだけれども、自分にさえそれと心づかれるそのよろこびの空やけを、鏡よそんなに凝っと見ないで。その不思議な羞らいはどうして? そしてどこから来るのだろう、といううたなの。
 単純な言葉の散文詩です。けれどもその調子には実感が流れていました。作者は男なのに、女のこころのこんなまざまざとした、一抹のきれいな雲に似た心の動きをよく捉えたものです。それは一つも嬌態ではないのよ。真率な、さっぱりとした、それでいて、いかにもなよやかな味いです。何だかこれ迄見落していたようで、こういう詩趣のふかさも面白く感じました。あなたはもしかしたらお読みになったとき却って心づいていらしたかもしれないわね。
 この詩の作者は珍らしく天真で、卑俗な羞らいの感情などからは、神々のように自由です。それだけ情感はみち溢れて、溢れる水がきらめくように充実していて、高い情熱の焔のためにかげを知らない風です。でもこんな詩をよむと、本当に親愛を感じるのですが、敏感なところがあって、あんまり人並の限界を超えた美しさへの傾注の深さを、その表現を、我からはじらうところがあるのね、しかも、決してその横溢を世俗の枠におさめておくことは不可能なのです。鳴りわたろうとする楽器なのね。そして、ここにそういう資質の独得な歓喜と悲劇ともふくまれているわけでしょう。
 でも、この詩人はしあわせ者です。自分の天才をうながす啓示を常にもっているらしいから。これは人間の生き甲斐というべきであろうと思います。
 十七日ごろには、新しいふとんを敷いて、さっぱりとくつろいでいらっしゃれたらうれしいと思います。
 十五日にゆくときは、おしゃれをしようと考えて居ります。でも果して、どんなおしゃれが出来ることでしょう。春、あんまり大気に生気が充満すると雷鳴がおこり、ゴッホのあの美しい絵のように爛漫と荒々しくなります。秋のみのりのゆたかさにもやっぱりそういう天候が伴うものでしょうか。数日来幸福な病気にかかり、きょうはおのずから快癒に向って居ります。

 追伸
 代筆のハガキ頂きました。あなたのところへハガキ出したあとでした。島田へも書きます。これは心づきませんでしたから。アンデルセンの本は、じかにそちらへ送るよう取計らいました。
「三人の巨匠」、終りに近づき。随分面白くテイヌの作家論などへも興味を誘われます。ドストイェフスキーの二重性格を実によく追っていながら、何か意外な軽々しさ、スリップのようにそれをレムブラントの明暗に比べています。何というちがいでしょう! レムブラントの終局の健全さ。ドストイェフスキーの窮局の不健全さ。一方の暖かさ(レンブラント)。一方の非人間さ。

 十月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十月十八日
 十五日には急に代理になってしまって本当に残念でした。おやとお思いになったでしょうと思って。火曜日の夕刻ひどいさむけがしました。おなかが空いたからかと思ったが食後も駄目。これは冷えたのかと入浴してよくあたたまって床に入りました。そしてすこし落付いたら又ゾーゾーなの。さては、面妖と思っていると苦しくなって眠るどころでなく、様子が妙だから体温計を出して計ってみたら八度七分。又三十分したら九度、一時間もしたら九度七分まで上って、いく分ぼんやりした気分です。予防注射していますし、あんなに気をつけてそれで頂いたのならマアいいや、だがうちの連中にはさぞオゾケをふるわれるだろうなど、考えて午前四時ごろになってふと喉のところさわったら耳の下がはれ出しています。ははあんと大いに合点して、すっかり安心いたしました。眠らず朝になり、人が起きてすぐ冷しはじめ、十五日には歩けるようになるつもりで力戦いたしましたが、氷やけで耳の下は赤くなったが、床から出られませんでした。
 熱は翌々日位でとれ、もう十七日にはすっかり平熱で床に入らず暮しました。この扁桃腺のフクレでズコズコ云っていたのもすっかり解決いたしさっぱりした気分になりました。
 扁桃腺が喉の外へ向ってはれたので、内へ向わなかったため食事はおかゆをたべられましたし熱もたいしたことなく助かりました。
 しみじみもう病気は困ると思いました。人手がないから。自分が動けないと遠慮してつまりは氷もとけたっぱなしになりますから。本当によく気をつけ丈夫にしていなければなりません。
 十七日はそんなわけで割合調子もよくなって居りました。せめて、てんぷ
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