には、殆ど大抵元禄袖になりました。いい着物をぶっすりと切っているのが、一種の伊達めいて、面白いものですね。どんなところにもこういう心理があるところが、人間のおもしろい眺めかもしれず。
昔のように、袂に文をなげ入れるということはない当今だから、誰にとってもきっと便利の方が不便よりも多いのよ。
食べたいものと云えば、この頃の暮しは変ったものです。ガス節約ですから(十人で一円五十何銭)御飯は土間のへっついで炊いて、ガスは子供用に使うため、お茶さえのみません、朝夕だけ。あとは水。冬はこうは行きますまい。
電燈も凡そ半分迄。乾パン、うどん粉、うどんが半月分当ります。乾パンは小さく長方形のもの。私は好きでよくたべます。うどんは、いつも昼飯に。これはゆでたのを一寸いためてたべます。うどん粉はパンをつくるのだけれど、うちの技師《ギシ》は、いつも、原始人の粉饅頭に似たものをつくり、おかあさん出動しないとフワリとしたものにならないのだから妙です。フーワリとすると美味しいものよ。プワリプワリ鯉が麩《ふ》をたべるようにたべるのよ。
健之助は丈夫で肥って、いつの間にかおかゆをたべ、きっと、あなたの召上る位のをたべているらしいわ。そして満足なときは、頭をかっくりかっくりやって合点いたします、明るい子らしいわ。一寸不安なときは、兄貴に似た表情をいたします。そしてその表情は親父のする表情で、そのおやじの表情はおじいさん似だから可笑しいものです。
今年は何だか実に迅く時がすぎます。何しろ世界が一週間か二週間の間にあっちに廻りこっちに廻りするのだから無理ないと思いますけれど。
ホグベンという人(市民の科学)は、科学的ヒューマニズムという一派の人ですね。科学の発展は、実際生活上の発明、必要、創意によってすすめられて来たものであり、ギリシアの科学は奴隷を自由人にしなければ発展し得なかった、と云うことを云っていて、科学をつめたい概念の所産ではないという啓蒙しようとしている立場でしょう。しかしイギリス人らしい実用性の限界をもっていて、科学は「職人の技の組織的に組立てられたものである」という前提です。これはあき足りません。原始生活において、人間が一つの経験を得、次に其を応用するときは、例えば枝と石をこすり合わす合わせかたという技を応用するよりも、根本的な発展は、その摩擦は火を発するという原理の発見と確立です。人間が理性をもつ生きものという最大の特長はその悟性でしょうから、例え表現上にしろ、ホグベンの概括は十分と云えないと思います。生産と科学の関係を見ようという健全な希望は、一方に、足をとられて機械論、或は反映論に陥っていて、これは根本において科学的でありません。それに奇妙なのは、ケプラーの法則について語っているとき、自然科学がケプラー(中世の大科学者)の時代に脱しかけていた段階を、社会科学はまだ間誤間誤していると云って、ロビン教授という私共国外のものには存在の意義のない経済学者の本から引用して批判したりしているのは、何か場はずれで、そのこと自身、著者の科学の底の浅さを示していて、大いに臭気紛々です。イギリスという国は妙でショウのような人間、チェスタトーンのような人間、ホグベンのような人を生みます、伝統の重さが、理性にのしかかっていて、それを反撥するところ迄は新鮮だが、はねのけ切る力はないために皮肉になるという風で、その皮肉もやがてポーズになって、そこに落付くから、結局はくだらない無力のものです。
文学においても科学においても、つまり人生に於て、皮肉を云っている人間は牙のない虎で、しんは、綿がつまっているようなもの也。
ホグベンの本は冨美ちゃんに教材としていいかとも思い、将来太郎のためにもいいかと思ったのですが、そうでもないよう。下巻は買いますまい。
科学事象の説明は(例のひき方は)生活に即し人類社会の進歩の段階に応じてその選択はされて居りますが、何となし根本に混乱が感じられます。
藤田嗣治の絵について感想がありますが、それは又この次にね。要は、日本の画壇は藤田をうるし屋(ぬるという点)とか何とか悪口したが、勉強していて、それは決して馬鹿に出来るものでないということです。軍用画においてです。この話は又別にゆっくり。あんなに降ってもきょうはこんなにむします。どんなに今年はきの子が豊作でしょう(!)
九月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
(同じ日)
きのこの話をしたらふと、お俊《しゅん》というひい婆さんを思い出しました。私が小さいときなくなったけれど、思い出すと炉ばたに丸く坐って、頭のてっぺんにぬれ手拭を畳んでのせていたのを思い出します。このおばあさんはしっかりもので、父は大学になっても朝風呂のために(この人が入る)手から血を出して水くみをした由です。祖父は父に早くわかれ、この母に育てられ、丁寧に仕えていたのでしょう。息子より長命して九十歳近くまでいました。あなたは北の地方の炉辺を御存じないわけね。そのぐるりの光った黒い板の間の様子なんかも、ね。このおばあさんは、或る天気のよい秋の日、午後から近所の松林にきのことりに出かけ、面白くどっさりとって来て、それを夕飯に豆腐と一緒におつゆにしてたっぷりたべて風呂にも入り、やれいい気持と横になって体をのびのびとさせたら、いびきかき出してそれなり、という大往生をとげた由です。
(前のつづき)
ロシアのきのこが、お伽話の插絵そっくりに水色、朱色のがあることお話ししましたかしら。塩づけになって居ります。大きいビア樽のようなものに入って、塩漬キューリと並び、燻製|鰊《ニシン》の下にあるのが普通の光景です。オランダ派の室内風景なんかには色彩が面白いでしょうが、日本の人にはこわいのよ。朱や水色のきのこは、何となし手が出ません。すこし上等の料理には茶色の丸っこい松露のようなマッシュルームをつかい、これはもう世界共通のありふれたものです。ローマからこの頃ヴェニスへうつったという日本の人々も、こんなマッシュルームとマカロニたべているのでしょうね。咲枝たちは、直径何寸もあるようなマカロニをみたそうです。マカロニたべて葡萄酒のむのでイタリーの人の体はどちらかというとダぶつく由。マカロニが柔かいからではないのよ、ガンスイタンソのせいだそうです。
藤田嗣治の絵は、変にアジア人の特徴[#「アジア人の特徴」に傍点]を出して、泥色の皮膚をした芸者なんか描いていていやでしたが、国男さんが十七年版の美術年鑑を買ったのを見たらば、そこに戦争絵がアリ、原野の戦車戦、ある山嶽の攻略戦等の絵がありました。目をひかれたのは、藤田が昔の日本人の合戦絵巻、土佐派の合戦絵図の筆法を研究して、構成を或る意味で装飾的に扱っていることです。更に気がついたのは、その構成にある大きさ、ゆとり、充実感が、こういう絵の求めるわが方の威力というものを表現する上に実に効果をあげています。山嶽攻略なんか、北斎の富士からヒントでも得たかと思うほど、むこうの山を押し出して、山の圧力が逆作用でこちらの圧力を転化する構成です。威力、圧力、勝利感というものを純絵画的に表現するということは一通りではありません。多くの画家は、低いリアリズムで、自然主義で描いて、わめく顔、ぞっくり揃った剣先とかむしろ動物的にかき、効果をクラシックに迄持続させる芸術性にかけて居ります、いやなきたない絵をかきます、しかし藤田はそういう要求でかくものに古典たらしめようと意気ごんでいるし、その努力のために芸術となっています。この事実を、同業人は何と見ているでしょうか。
文学では、やはり同じ問題があります。もっとむずかしく複雑ですが。報道班として南へ行ったのは何人もいるが、人間として文学に新たな一歩をふみ出したのは何人でしょう。
尾崎士郎は、よく経験したらしく、日記を集めたものをよむと、文学について、人物について困惑されるところが生じて来て居ります。しかし思うことは、ね、そういう成長と同時に、文学者は(現代人)深い感慨にうたれたとき、何故みんな漢文調になるのでしょうか、ということです。なるというよりもおのずからならざるを得ないのはどうしてでしょう。尾崎にしろそうです。文学論、人物論そのものは、大きくなっています。腰もすわって来ている。南まで行って女買いしたくもないだけのところがあります。だが、漢文調になるのよ。
日本の文化伝統と感情の新しさということについて考えます。まだ、何でもなく書いて実に深い感銘とスケールとを示すような感情の質が、もたらされていないというわけでしょう。したがって、文学の新しさというものも本質はそこにかかっているところがあるわけです。漢文調の人生感、且つ人物完成というものは油断なりません。これは、まだまだ私に宿題を与えて居ります。日本文学は漢文調を脱却しなければならないのですから。
九月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
九月十八日
大人たちは皆居なくて、庭で太郎とその弟分たる隣のミチルちゃんという子供との声がしています。私は風邪気で、妙な顔をして居りますが、面白い本を読んで亢奮を覚えているところです。
その話の前に一寸した物語があります。それは「二輪の朝顔の花について」です。この頃咲く朝顔が花輪は小さくて葉がくれがちながらも、真夏よりは一層色が濃くなりまさっているのを御存じ? そういう朝顔が一本はそのつるのよこに濃藍の花をつけ、他の一つはそれより柔かいすこし桃色がかった花をつけています。二つの鉢が並べておいてありました。ふと見るとね、濃藍の花がいつの間にか薄桃色っぽい方の花弁に自身の花弁をふれそうになっているの。さわるが如くさわらざるが如く揺れている様子は大変風情があって、何か目をひきつける魅力があります。ほどなく、ほんのかすかに、髪の毛の感じるような風が一ふき吹きわたりました。すると濃藍の朝顔の花はその繊細ならっぱ形の花びらに不思議な生気をたたえて、いかにもそっと薄桃色の花にふれました。目の加減でしたろうか、ふれられた花は何となし花の紅潮をふかめたように見え、二つの花は、花弁の一端をふれ合わせたまま、じっとしています。もうおそい午後で、葉をすかして午後の斜光がさして居ります。その花たちはたっぷりした葉をほしいまま緑金色にきらめかせたまま、それにかかわりないように、寧ろ、その美しさの凝集のように葉かげによりそっています。明るさの奥にもう夕方のかげがひろがる刻限でしたから、その仄かな眺めは大変に大変に優艷でした。
私は自分を仕合せと思うのよ。こういう美しさを味うことの出来る仕合せは、くらべるもののないゆたかさとありがたく思います。
さて、本の話です。『偉大なる夢』傍題「伝記小説ヨハネス・ケプラー」という本で、ザイレというドイツの作家のものを、黒田礼二が訳したもの、ひどい紙の二段組でよみにくいことおびただしいものです。ひとからの借りもの。よんでみて、深く感銘されました。科学のこの大天才が、人間的尊厳にみちた生涯をいかに送ったかということが、十六世紀末十七世紀ドイツの紛糾混乱殺戮にみちた闘争時代の社会の中で実によく描かれて居ります。
歴史家は、中世からルネッサンスへの推移とルネッサンスの栄光について多弁ですが、ルネッサンスという豊饒な洪水によって一応は肥沃にされた土壤に、どんなおそろしい勢で腐敗もおこり雑草もはびこったかという、謂わばルネッサンスのリアクションというような事について、ルネッサンスとの対比において、その比重の大さにふさわしい大さをもって研究し描き出したひとは少いのではないでしょうか。部分的にドイツの農民戦争などを研究はされているけれど。このケプラーという大数学者天文学者、はじめて数学に根拠をおいた近代の科学的天文学の創始者であり、地球太陽の軌道が其々の長さをもつ楕円形を描いていること、地球が自転しつつあることその他の真理を明らかにした学者は、ルッターの宗教改革の後の反動時代のドイツに生れ(一五七一―一六三〇年)
前へ
次へ
全44ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング