ことに心づき、太郎が私にものをたのみ、私がはっきりそれを約束した以上は決して変更しないという規律を自分につけました。そのうちに、お産の留守があり、温泉ゆきの留守、国府津の留守とつづき、私が毎朝太郎と共に起きてやり食事の世話をしてやり、私は太郎を全く十歳の男の子として扱いました。ふさわしい人格を立ててやって。
 段々私たちのうちには先輩と後輩の関係が出来て、それが一番自然でいい絆となりました。自動車の機械について訊くのは父親です。本のこと、星のこと、その他種々雑多なことをきくのは私です。いつの間にか私が本をかくお仕事ということも知って来ているのよ、何冊書いた? ときたりしていました。ボーっとあなたのことも知っているわ、宮本のおじちゃんとして。あっこおばちゃんの旦那様として。
 ところがね、ついこの間こういうことがあったの。
 問題は太郎がひっぱり出して来た一枚のゴザです。今ゴザや畳表は売っていず、家の畳はところどころ大ぼろで、女中さんの室はやっと私が見つけてやったゴザで藁をかくしている始末です。ゴザを泥にしいて遊んでわるく役に立てなくしてはいけないと云ったら何かの気分でビービーと泣きはじめました。そしたら咲が、あっこおばちゃんは何にも御存じなかったんだから、と息子に云いわけをしている。太郎は一層ビービー泣いて、あっこおばちゃんは怒りんぼだからいやだ、怒るからいやだ、とわめいている。母さん一言もなしなのよ。二階で私はきいていて、本当に怒りを感じました。そこで瀧の落ちるような勢でおりて行って、安楽椅子にはまりこんでいる太郎の泣いている腕をつかまえて云ったの。自分に都合のいいときだけ甘たれて、何でもして貰ってすこし気に入らないことを云われると、かげで怒りん坊だのというのは卑怯だ。全く男の子らしいことでない。一番ケチな人間しかしないことだ、と云ったら、ごまかしてきくまいとして、猶泣き乍ら、だって何とか彼とかわめくので、私は思わず太郎の脚をぴっしゃりと打ちました。そして、すきなだけ泣いてよく考えなさいと云って上って来てしまった。太郎は敏感な子で、その場に自分を合理化してくれるものがあると思うと、本能的にそこへ身をよせてきっちりしたところのない心持の子です。母さんは、私が息子を打ったということだけで上気《のぼ》せてプリプリしていたわ。うちの人たちは、気まぐれには太郎を叱り土蔵に入れたけれど、そういう人間のケチさのために怒るというような怒りは知らないのよ。
 やや暫くしてもう夕方になり、私は何かよんでいたら、上り口でガサゴソ云うの、そこに太郎の本箱があるの。「そこにいるの誰だい?」分っていたけれど、きいてみたの。案の定、太郎なのよ「腕白小僧」と返事しました。そこの椅子に太郎にかしてやってあった掛布団が干してあった中に埋りこんで、みそ漬をしゃぶっている。「本だすの? 机が邪魔ならどけるの手伝おうか」「ううん」そしてのぞいて、こっちへ来て、私のよんでいた本について何か喋って、二人で暫く話していました。そしてやがて「もう僕行く、ね」とおりて行った。
 私は胸の中があったかあくなってね。本当にうれしいと思いました。大体太郎は二階へ来ません。ごくごくたまにお八つをねだりに来たりする位です。ああやって来たにはそれだけの気持の動機があり、私が打つほど怒った気持が、何か子供なりにのみこめたのね。そうやって怒られ、何かうなずけ、いい心持になり、詫びるというような大人の形式よりずっと人間らしい親密な頼れる思いが湧いたのね。そして二階へ来たのね。夕飯のとき、二人きりのとき私は「太郎も大きくなって段々ものがわかって来てうれしいよ」と云ったの。そしてね「人間はしっかりとたのもしい者にならなくては駄目だよ」と云ったら、「たのもしいって何」ときくの。私たち十ぐらいのとき、たのもしさを直感していなかったでしょうか。私は何となしわかっていたような気がするのだけれど。それからわかりやすく説明しました。やがて皆が揃い御飯をたべ、お湯をのむ段になって、太郎が私の茶わんとって「これで呑んでいい?」というのよ。自分のもなかったが、ここにも一種の心持があります。「いい」。そんなことで、もうケロリと忘れてしまったかもしれないが、それから太郎は何となく私に対して変ったの。一歩深く歩みよって、真直私のわきに立つ感じなのです。面白いでしょう? 私はうちの誰ともいい加減な気持で接触してはいないけれど、太郎のことはうれしいのよ。やはり子供はいいと思うの。うけとりかたが真直です。寿は、この頃何だか索漠としたところが出来て、人生がわかったような調子で、何か話しても多くの場合、あなたはあなた、というききかたをして吸収力が大変なくなり、それは私を悲しく思わせているのですが、私の心が、そうやって木の肌をすべりおちるようないやな思いをしたとき、太郎の心の柔らかな少年らしさは私に励しとなります。寿もわるくはないのに、病人の心理というものを肯定しすぎているし、そこから自分の世界を区切りつけすぎるし、そういうことを生活力の人並より大きいところでかためるからなかなかむずかしいと思います。生活的に大したお嬢さんで、それが昨今の時勢に押され万事不如意ですから、感じとりかたが大仰で、あっさりしなくて(物の無さなど)苦しいところがあります、はたも自分も。私はしんから気の毒よ。いろいろ。女として。
 感情の大きくつよい女が、愛情の目標もなく暮すのはよくないわ。寿は、ああいう押し出しで、ひよひよの男は、先ず俺の財布じゃと僻易させてしまうし、性格的に面白いと思われ、それから先になると二の足となるのよ、健康のこともあるし。寿自身臆病です。暮せるように暮して行こうというあっさりした人本位のところがなく、頭が細かすぎるのか計算が多すぎ、計算したら歩み出せる人生ではないのですしね、土台。何とかして健康とバランスとって仕事をまとめてくれるといいと思います。そうすれば、それが一定の高さとなれば又別の丘へ出て、そこでは又別の人間が生活しているでしょう。結婚生活の形態はきまったものだし、すこし別の形態にやるためには厖大な経済力がいるし、そういう人は、うちの経済力なんか問題にせず、それを突破して井上園子のように、幸福そうな不幸に陥るためには寿は花形[#「花形」に傍点]でありません。虚栄心を満足させる令夫人よりは骨がある女ですし。私は自分が女としてもっている何よりの幸福の自覚があるから、寿のいろいろの心理に却って高びしゃに出られないのよ。姉としていつも女というもっとひろく、痛切な地盤に出てしまうものだから。丈夫で、少くとも恢復する病気で、こういう結婚生活していて、それは皮肉になりようもないでしょう、という気分が顔を打って来ますから。でも、それでは寿の不幸になるのですが。今は国が病気で留守しているので、寿の気分も状況に対してすらりとしていて、皆が国府津へ行っていたときより楽です。国府津へなんか大したこともないのに大騒ぎして行ったり来たりやって、病人の自分が家の用事で疲らされるなんて、ということから全く神経質となり、えらかったけれど。病人にとって楽でない日常になって来ていることは事実です。一つの家の屋根の下に、こんな気持が渦巻き流れ、私はその様々な音を聴き、未来の瀬のはっきりきき分けられない音を子供たちの泥んこの顔に感じているというわけです。

 七月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(広島市庁の写真絵はがき)〕

 きょうはすっかり夏になりました。こんなところ覚えていらっしゃいましょうか。いつか目白のお医者さんからかりた『時計の歴史』と『ラバジエ伝』どうなりましたろうか。よそへは行っていないでしょうと思いますが。『週刊毎日』買えず『日評』も買えず、御免下さい。病院通いで書生さん寧日なく、宅下げの夜具まだとれず夏ぶとんもおくれていて御免なさい。月曜に国かえって来ます。

 七月十七日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(山の風景画の絵はがき)〕


 七月十六日、本当の暑さになりました。あつい防空演習でした。今夜ゆっくり手紙をかこうと楽しみにしているところ。私の風体はね、紺のもんぺズボンにあなたのテニスシャツを着て居ります。大したものでしょう?『外交史』の下巻もうおよみになりましたろうか。アカデミーの『世界貿易論』というのを買い面白そうです。私は今ストレチーの『クイーン・ヴィクトリア』をよんで居ります。

 七月十七日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(セザンヌ筆「パイプを咥えた男」の絵はがき)〕

 七月十七日、この髭の垂れ工合が三十代のゴーリキイのルバシカを着た写真を思い出させます。セザンヌはいつも片方の眉をこう描くのですね、自分のも、ひとのも。これは気持よい肖像でいくらか秘蔵の心持のあるものです。私の用事は、あと四五回でまとまる由です。マアマアというところです。まる四ヵ月かかったことになります。それきりですむのならさっぱりいたします。国男は月曜に退院して来ましたがやはり営養が不足のせいかまだ床に居て本をよんで暮して居ります。

 七月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 七月十七日
 こんどは珍しい御無沙汰になりました。いろいろの話がどっさりたまりました。御無沙汰のわけは、国男がかえって臥ていてゴタゴタ。暑くてへばる(二階が)お盆の買物に出たりしたことなど。
 今日はすこし涼しいことね。雨が降りかかってすこし落付いていいと思ったら、やんで曇って、却ってむすかと心配です。
 十日のお手紙をありがとう。『茂吉ノオト』と『人間の歴史』とはあります。これはいい本をお買いになったと私はホクホクもので大切にしまってしまったわ。かえすものでした由。あってよかったけれど、かえすのは辛いことね。ではそのようにいたします。かえすなら一度よんで、ね。
 国男月曜日にかえりました。食事は大丈夫何でもいいのだけれど、やはり衰弱していると見てまだ床についたきりで、目ぺこです。大腸カタルの劇しいものだったらしいのね、赤痢ではなかったようです、家族の健康診断に市の衛生から来ませんでしたから。でも大体国はこの正月眼をわるくしてからブラブラで月に一杯出勤したことはないような風です。その点なかなか大した度胸よ。坊ちゃん度胸と人柄の度胸とダブッテいるように見えます。これで又ずっと秋まで休むのですって。そして、国府津へ行くとかアサカへ行くとか云って居ります。そのたんびに昔の軍隊のように大行李を運んで。こういう時代には落付かない心が、こんな形もとるのでしょうか。わたしは、せめて、本で専門の勉強でもする気になって、落付いてくれたらと思います。自分一人フワフワするのでなく、家族的[#「家族的」に傍点]なのはいいけれども、義務のためにいやなことも忍耐するという生活の緊った気風が家にないと、育って行くもののためにはわるいわ。いつもしたい[#「したい」に傍点]ことをだけして[#「して」に傍点]行くというのは。太郎がしたくないことをちっともしないと云って叱るが、それだけ叱ってもというところもあり。でも私はなかなかどっさりのことを学び、(生活法を)一しお自分は勤勉に躾けようと思います。こういう家族の中にいての方法ということも段々わかりました。既に河流をきめて流れて行く川について走ってその流れかたを云々したって仕方がないのですものね。批評も創造的批評でなくてはならないと沁々思います。そのためには喋っているより実行ですから。いつでも、どこでも、同じ、ね。
 国男のかえる前週の金曜日に、出かけた翌日で疲れていたけれど女中さんをつれて出かけて、栗林さんへのものその他お義理の買物をして、富士見町へは 16.00 ほどの大きい、いい盆をとどけました。その時又手紙をかいて、御手数は万々承知ながらお願いしたのだと、改めて云ってやりました。私はいくらか忍耐を失っていて、契約の金全額支払ってかまわないから役にも立たないものを、と思うのよ。性急なかんしゃくめいては居り
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