はないわけです。魔力の無限の跳梁と思えば身の毛もよだちますが、少くとも天候というものを知ってその科学を学んでいれば、ホホウというところもあり、おのずからの笑いもあるわけね。相当荒れるわいというところもあったり。面白さというのはそこのところね。
 栄さんは、きのう午前の大雨のなかを、農業試験場の田植に行きました。文学団体の農民文学委員会の主唱の由。新聞に出ています。
 いろいろ眺めていると、仕事の忙しさよりも、仕事をしてゆけるようにしておく為の忙しさというようなものが非常ですね。これ迄、作家たちの大部分は恣意的に暮してごたく並べていたから、大洗濯うけるのも結構でしょうが、それでもやはりすこし教養のある人たちの使われかたと、体だけでの使われかたとあって、大変です。栄さんは御主人が二百円ほど月給があるから、先の暮しでしたらやってゆけるのでしょうが、何しろ新築した家のため、月百円以上償還してゆかなければならないそうで、これは現在大した負担でしょうと察します。悲喜劇です。同じ儲けるにしろI・Tのように出版インフレの先駆けをやって良心なんかてんでもち合わさない儲けかたをして、安気に理想たる芝生のある家を建て終せて、この頃はお髭のちり払い専門になっているというような型もあり。儲けられない筈のところまで波が打って来る時は、もう中心では別の動きがきざしているというのが現実であり、大正九年の大暴落にしろそうですものね。私が家を建てないと云うと云って吉屋信子が笑ったそうだが、私なんかには少くとも経済上のそういう持続性は信じられなかったのですし、それが本来でした。
 ところでこの間送った原稿ね、あれをうまく戻すのはむずかしいらしくて困ります。もう詮衡ずみで、角だつらしくて。もうすこし考えて(方法を)何とかなればよし、さもなかったら今回だけかんべんして下さい。お願いいたします。円地という女の作家が委員の中にいるから、もう少し工夫してみます。本当に、ひょいと考えの二本の筋をこんぐらかして、おしいことをしました。
 生活の方法について、御考え下すって有難う。島田の御親切は私も単純にうけてありがたく思います。しかしそれ迄に私としては、東京に生れ、そしてここに育った者としてとれる自然な方法が少しは在るでしょうと考えて居ます。家族としても、ね。いろんな面がきりつまれば、食うために生きているのでない以上、自分たちの精神生活の評価が行われにくい環境で勉強をつづけてゆくことは苦痛となるでしょう。女がものを書く、それで生活している、それなら分るようなものだけれど、それで食えもしなくて、働きもしない(やはり机に向っている)ということは、普通の生活の中ではなかなか感情がすらりと来ないものなのよ。ですから、女のものをかくということには大したむずかしさ、生活の感覚からしめつけて来るむずかしさがあって、食えるだけに書けないと女はすぐそんな位なら洗濯一つもした方が、子守りして台所した方がうちのために役に立つということになるのです。女の生活というものは百人が百人そこで立っているのだから。
 ですから、個人個人の親切心や思いやりやをありがたく思ってもそれよりつよい習俗の力が時間を重ねるにつれ、日常生活の上には重い力を振うようになるのが常です。その実例は、多くの生活波瀾を経た婦人たちが、安穏に食えそうな故郷をみなはなれて、東京で埃っぽい生活ながら自分の生活を営んでゆくことをとっているのでもわかります。私は幸東京に生れた家があるのだから、その点はより便宜に円滑に処して行かれるでしょうと考えます。其故どうかその点御安心下さい。自分で本が買えないときにはいい本を買う友達のいるところというのも大した価値があるのだし、勉強によっては図書館も大切だし。私は大体これ迄島田にいる間は限られた時なのですから、仕事は殆どしないで暮したし、勉強らしいこともしなかったし、ですから私の本当の暮しぶりはどなたも御存じなく、調和的な面白いきさくなもの知りなユリ子はんに過ぎないのよ。そして、ちょいと強情らしい、ね、私が困ったらとお思い下さるとき、すぐ島田と結びつくのは本当に自然だと思いますけれど、私にすると、女としての自分をよく知っているから、環境的に或は習俗的に息苦しく恐怖するのです。妙なものね、でもこれは本能的につよいものであり、女に附随した一つの保護的警戒力みたいなもので、そのことにも生活習俗や文化の分裂が反映されているわけです、つまり婦人委員会というものが必要だった所以ね。それに、私はよく思ってほほ笑まれて来るのだけれど、あなたは御自分の心のスケールであちらをお考えになりやすいのね、私を包括していて下さるスケールと深さが大変ゆったりと大きいから、私はブランカで、全くかさばらないものなのだけれど、普通の心や精神の可能の面に立つと、女の私は嵩だかなのよ。私としては望ましくない位。大抵のところは根太がぬけるのよ。安心して自分の重みをかけると。ですから私としては底をぬかない用心を自分でやって、副木を添えて一歩一歩と自分の歩ける場所をひろげてゆくわけで、そういう工兵的生活法のためには副木として役立ついろいろなもの、私の役立ついろいろな必要が多いところほど暮しやすいということになります。この一ヵ年近くの間に私はここでもかなりそういう工事に成功して、これからの条件に備え得たと思います。骨もおしまず、必要を洞察し、経済的なことでも私は出来るときは出来るだけのことをする、やぶさかでない利己的でない人間としてはっきり理解させ、或意味では恐縮に思って貰う位で、はじめてその人柄というものの力で通してゆけるようになるのが平凡なぐるりでの順序です。うちへのことも、国は寿江子のことでよく云うから、不平があるときっとそのことにふれるから、私は特別バターや牛乳やパンやらを心配して貰ってもいたし、それを考えてしていたのですが、この頃はみんな配給がなくなったからその費用はないのですし、そうすれば当然額も減っていいのだし、そういう風に変ってゆきます。それに太郎の生活にとって私が陰に陽に大切なあっこおばちゃんであり、二人が温泉へゆく、国府津へゆく、さて又病院へゆく、そういう間、学校の勉強をみてやり、淋しいとき本をよんでやり、朝六時に一緒に起きてやる人は、私以外にありません。太郎と私との間には独特な先輩後輩の気分があって、私にとっても、これは大きい慰めであり、人間をしつける希望と責任でありたのしみです、最近大変面白いことがあって、太郎と私とは一層親密なものとなりました。その話是非したいのよ、私は実に心をうたれたのですから。そういうような細々したことの堆積で――それらは、洗ったり炊《かし》いだり縫ったりよりは種類のちがう人間の面で、しかも私に与えられたプラスのものの力による独特のことですが――私はここの家族の間に追々一つの人間的影響をもち、それを通じて私たちの生活全体をひっくるめてうけ入れられる心持がつくられて来ていると思います。永い見とおしに立って努力するところもあります。私としては、こういう性格ですからやはり自分の人間価値に立って自信をもっていろいろの境遇に生きたいのよ、単に肉親的関係という、たよりのあるような片身[#「片身」に「ママ」の注記]のせまいようなものにだけたよらないで。
 まあざっとこんな工合です。太郎との物語は別に書きます。別に書かなくてはならない話や物語はまだどっさりあるわけです、第一に詩物語があります。泉の物語もあります。心持のよい、血液循環が快く速くなって、優さで心が和らげられ、生きているよろこびが無垢に面をうつようなそんな詩物語を見つけ出したいものですね。人間に歌があり、それはシューマンのようにも複雑となり精神にしみ透るものとなるというのは何と素晴らしい人間らしさでしょう、だって獣は実に微妙なニュアンスをもって生の様々の様相をつたえます、人間より直観的に。しかしそれは歌にはならないわ。人間は深く、つよく、生きる美しさを、美しさとして永遠化す力をもっているのですものね、人間が万物の霊長だというなら、それは芸術と科学をもち得ているからだと思います。

 七月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 七月六日
 日光書院のこと先方の間違いと判明。『独語文化』五月からお送りするようにしました。
 私の方の用事は、大過去から過去となりやっと現在体となりました。多分これから本についての物語となるのでしょう。例年になく涼しいので大助りして居ります、作物は心配だけれども。これは大助りというにはいろいろ理由があって、そのすこしは幅も心の平静もあるひとが高文にパスしました。私のような人間におそらく分らないほど意味あることらしくて、やがて窓口は変りもうこちゃこちゃしたところへは出て来ないようなことになるらしい風です。偶然つぎ目のようなところで私は息のつける応答をしているわけになり、終りまではこれで通したいと思います。ジリジリあつければやはり続けかねるから涼しくて仕合わせというわけなのです。こういう程度のひとは一ヵ年一つところにいるかいないかですものね。窓口の大さにふさわしい精神の窓口しか幅もひろがりも理解力も小さい頭が又そのあとに坐るのでしょう。見ていると、人間の生活というものは其々の場所で、すこしおやと思うものは、きっと何かそれだけの変化を示すから妙です。
 国男はドンドンよくてスープをのみ、おかゆをたべして居ります。家中無事。私はきのうすこし骨を折り(月)きょうはおこもりです二階へ。
 太郎との話。これは私にとって大変興味があります。
 ここへ暮すようになった当坐、太郎は馴れずお客のように思っていたのよ。それから病気して、病人は子供が気味わるいらしく敬遠していました。それからすこし治り、一緒の御飯たべるようになり、Tが全く無規律な生活の感情の中で育っているのを見て、私はひどく不安になりました。好きなこと云ってごねるのよ。咲はああいう性格ですから愛情一本で世の中へ男として出た場合という大局は考えにくいのね。目の前なの。それで国も自分を支配する能力はちっとも発育させず成長して、やっと四十越して世間に出てすこしずつ耐忍も出て来た有様です。自分の心を自分で持てない人間を私は一番おそれます、男も、女も。一番箸にも棒にもかからないものです。
 そこで暫く私はなかなか厳格なおばちゃんとなったの。国男がくってかかるのよ。可笑しいものね。
 それの後にも最もいい段階が来ました。その誘因はあなたにあるのよ、それでこの話もいくらかあなたにも面白いだろうと思うのですけれど。二月末頃でしたか、私たちの経済のやりくりのことについて長い手紙かいたでしょう? あのとき私は強く強く感じたことが一つありました。それはあなたのお手紙に、一つも御自分の便利とか好都合のためとかで物事を判断したり評価したりしているところがなく、全くものごとの正当さと私という人間の正常な成長のためだけにものを云っていて下さるということ。それはあのとき私を深く、新しく動かしたと同時に、何か根源的に一層私はあなたがわかり自分たちというものがわかり、自分が分ったのです。まじり気のない人間関係というものが沁々とわかり、これまで分っていたことは、まだ皮相であったと考えるようになりました。そして私の心には、つきないよろこびと、理性に立つ従順といよいよ大きく深い信頼とがもたらされました。私たちの実質はこうして一段と純化され、そのものらしさに近づいたのでした。
 いろいろこの味いつきぬいきさつを考えてね、私は自分があっこおばちゃんとして、太郎にどんな信頼を与えているだろうかと反省したのです。あの時分から私は人間関係の窮局の土台は最も強固なものは、よろこばしいものは信頼であるということを痛感していたので。
 子供は謂わば道徳以前で、生物的な意味で自分本位ですから、只禁止の表現で何か云われても積極なよろこびで理解出来ないのね。それで安直に大人は甘やかしてしまって敗北の旗をあげるのでしょう。私はその
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