かしいから、古典作品の研究、たとえば明治以来の婦人作家研究をもっとさかのぼり、それをまとめたりする仕事はよいだろうし、文学美術に関する随想はいいのでしょうし、小説は今度も一つも問題になったのはないのですから、小説も段々かきたいし、と考えているわけです。経済的な点で、勿論書くもので儲かろうとは思えず、出版部数も多くはなく不便はつづくでしょうが、全く可能のないものとしなくてもいいのではないでしょうか。隆々と活動するというアブノーマルなことを考えず、芸術の領野で地味に手がたく勉強して、それがいくらかの収入にもなるということはあり得るでしょうと考えますがどうでしょう。そういう風に考えて行って作家としては自然でないでしょうか。ろれつ[#「ろれつ」に傍点]がよくまわらないから大勢の人前で喋ったり坐談会などは本当に不可能ですし、あれこれの旅行も不可能なのですし。もっとも、そろそろ書けるようになったとき、又何がどうなって来るか、それによってどんなに状況が変るかはそのときのことですが。
 私の養生ぶりがしゃんとしていなかったということ、そして話とちがったというところ、悲しく、何度もくり返し拝見しました。
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