のね。私は、自分が子供のときのんびり育って、やがて少しは苦労をしのぐ能力も出来、苦労というものについての態度もややましになってから、あれこれのことの起ったのを仕合わせと思って居ります。もし私が子供時代のなりで年だけとったら、どんな半端なものになっていたでしょう。婆ちゃん嬢さんなんていうものは現代では悲喜劇よ。芸術家になんぞなれるものではない。極めて多くの人間が生活のどんなポイントでそれてゆくものか、そのポイントに自分が立ってみなければ分らない、人間の高貴さは観念でもわかるが、弱さは生活のなかをくぐって自分とひととを見なければ分らず、そんなあれこれが生活を知っているかいないかのわかれめとなるのでしょう。
自分で字をかくと一字一字は見えないから心と手との流れにのってかき、字はノラノラと、ちっとも自分の好きにはかけません。
お読みになるのも何だかいやでしょうと思うわ。もうこれで又当分代筆よ。
今日は十五日の夕方ですが、春めいた晩ですっかりくらくなったけれど、廊下をあけています。どこかで花の匂いがします。紅梅にちがいないと思い、あなたがいつかの早春にも桃とおまちがえになったこと思い出しま
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