。このひとはこの頃明治初年のものをよみかえしたと見えて、題からして「柳橋新誌」ばりですし、作者というものを作品の中に登場させ、文体もその時代めいたニュアンスで内容は今日をとってかいて居ります。苦心のあともわかりますけれども、何となし今日の文学というものについて読者に感想を抱かせます。『文芸』の「まだ沈まずや定遠は」とともに。あの演説(今月号)にしろ、明治初期の文学がその未熟な向上性においてもっていた演説口調と、今日のとはまるでちがいますし。文学上の工夫というものが、体のひねりみたいなものになってしまうのは、この作家の著しい特徴ですね、「描写のうしろにねていられない」にしろ。ある敏感さがあります。神経質さがあります。それでくねりくねる。くねる運動は常に前進のみを意味しないというところに悲劇があるのね。あり体に申せば、今日、文学は工夫の域をこえてしまって居ります。工夫で何をかなさんやです。そのことを腹に入れて度胸を据えなければ、文学は文弱なるものに止ってしまうでしょう。もうすこし想像力が豊富だと強壮にもなれるのにね、この頃よくこんなエピソード思い出します。コーカサスの山越えをしようとして、
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