かひっぱって、「ケプラー」をよんで、そして「三人の巨匠」で扉に向ったというのは面白いことです。読むものが、直接でない刺戟、思考の刺戟というような役に立って行って、或段階で直接なものにふれ、展開するのは興味があります。読書の神秘とはここに在るのね。
「三人の巨匠」は、ツワイクの一番緻密で芸術的で努力的な作品です。作家をその精神の核の性格においてとらえ描くということは余りやらないが、むずかしく、それ故面白いことです。今ドストエフスキーのところをよんでいます。この作家の二重性、分裂をそれなりこの作家の特質として、その明暗の間に走る稲妻を作品に見ているところは、大変魅惑的な労作です。しかし最後の「悪霊」ね。あれにはネチャーエフのことが出ているのではなかったかしら。あの大スラブ主義などは果して今よんだらどういうものかと新しい食慾を覚えました。ツワイクは、ドストイェフスキーの存在を、一九〇五年を前告した嵐と呼んでいるのよ。嵐雲のおそろしい気の狂う美しさとしているでしょう。
風邪をひいたのは気候のせいもあるけれども、数日間つきものがして(シャレタひとはデエモンと呼ぶ狐)すこし夢中になって精根をこき
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